ブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)は13日午前、同協会ビルで「第146回定期評議員会」を行なった。52人(うち委任状13)が出席。来年は文協創立60周年を迎えるにあたり、ポ語の記念誌編纂も進めている。 木多会長はあいさつで「大塚商会・大塚実名誉会長の1億円寄付による改修事業やW杯、大統領選と息をつく日まもなく過ぎ去った ...
続きを読む »山本喜誉司 関連記事
島崎、南、藤原3氏に栄誉=第44回山本喜誉司賞=ロドリゲス元農相も貢献称える=来年は賞創設50周年に
文協・山本喜誉司賞選考委員会(山添源二委員長)による農業功労賞『第44回山本喜誉司賞』授賞式が7日夜、サンパウロ市の文協ビル貴賓室で行なわれた。島崎清(72、二世)、南忠孝(71、和歌山)、藤原シジネイ日出男(46、三世)の三氏が栄誉に浴し、家族、友人ら150人以上の関係者からの祝福に笑顔を見せた。 ロベルト・ロドリゲス元農務 ...
続きを読む »オーリャ!
7日に行なわれた農業功労賞「山本喜誉司賞」の授賞式には、ロベルト・ロドリゲス元農相や、サンパウロ州のモニカ・ベルガマスキ農務局長といった顔ぶれが並び、ブラジル社会にもアピールできる機会となった。 ただし、華やかな式典で「夢のよう」と大きな喜びを表した島崎清さんと、その他の受賞者には感情の温度差があったように見えた。 1965年 ...
続きを読む »山本喜誉司賞=島崎、南、藤原3氏に=11月に文協で授賞式
文協山本喜誉司賞選考委員会(山添源二委員長)による農業功労賞『第44回山本喜誉司賞』の受賞者が決定し、山添委員長、長井邦夫副委員長が報告に訪れた。受賞者と選考理由は次の通り(敬称略)。 ◎島崎清(72、二世)。サンパウロ州第3アリアンサ出身、同地在住。1960年代から鶏卵、鶏肉のほか、鶏糞による土壌の肥沃度の回復を狙って養鶏 ...
続きを読む »「日本文化の普遍性」の象徴としての日本館
60年前、山本喜誉司がサンパウロ市四百年祭協力委員会代表となり、日本館建設に尽力した。独系、伊系など他コロニアも協力したが仮設、日本勢だけ本格的な恒久施設を作った。そこに山本の戦略があった。勝ち負け抗争で荒れた世情を四百年祭への協力運動を通して「融和」する考えだ▼本来は祖国救援の「ララ物資」を送る運動をそうするはずだったが、勝 ...
続きを読む »日本館設立60周年を祝賀=海外で稀な純和製数寄屋造り=還暦祝い功労者へ表彰も=竣工式出席の大宗匠「感無量」
サンパウロ市イビラプエラ公園内の日本館が1954年の設立から60周年を迎えるにあたり、先月29日に同館で記念式典が行なわれた。梅田邦夫駐ブラジル日本国大使、在聖総領事館の福嶌教輝総領事、羽藤ジョージサンパウロ州議、野村アウレリオサンパウロ市議ら約100人が、還暦の節目を祝った。設立当時の竣工式にも出席した、茶道裏千家15代家元 ...
続きを読む »農業の山本喜誉司賞=幅広い分野で候補者募る
農業分野の功労者を顕彰する『第44回山本喜誉司賞』の受賞者の推薦受付が始まった。締め切りは6月30日。 選考基準は「技術革新への貢献」「独創性・創意への先駆的貢献」「農業者が獲得した成果の波及への貢献」「財政・経済的成功による農業分野での貢献」「農業分野での地域社会への貢献」「環境保全を意識した農業」の6つ。 このいずれかに該 ...
続きを読む »■訃報■元北海道協会会長 谷口出穂さん
元北海道協会会長の谷口出穂(いずほ)さんが25日午後8時半ごろ、老衰のためサンパウロ市のプレジデンテ病院で逝去した。翌日、モルンビー墓地で葬儀が執り行われ、同墓地に埋葬された。享年87。 北海道札幌市生まれ。千葉大学園芸学部を卒業後、53年にルイス号で農業技師として渡伯。南伯農協中央会に勤務し、副理事長を務めたほか、農拓協専任理 ...
続きを読む »県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(10)=ピンダモニャンガーバ=「安田から日本人の歴史始まる」=長男は日系初の商工大臣
ニッケイ新聞 2014年4月9日 日本から米作専門技師を呼び、《日本式水田で日本式の一等米を生産した》という。カンピーナス東山農場の山本喜誉司がこちらの農場長も兼務し、付近の農地を買い集め、一時は2500アルケールを誇った(『富流原94頁』)。 安田良一が支配人をしたサプカイア耕地はコーヒー、牧牛、米作などを手広く事業を展開して ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (103)=紅茶産業に新潟県人の系譜=越佐郷土会次々に送り込む
ニッケイ新聞 2014年1月15日 「高校時代の親友が事故で死んでいなかったら、僕はブラジルには絶対に来ていなかったと思う」。戦前移民の大半が農業から始めたが、戦後移民の金子国栄(72、新潟)=13年3月11日取材=は渡伯以来、42年間もお茶一筋の生活をしてきたが、農業自体は一度もしたことがない。 金子は1940年11月に新潟県 ...
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