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平野運平 関連記事

技術実習生受入れ枠拡大へ=静岡県人会60周年式典で=先人偲び、川勝知事が言及

左から川勝県知事、原会長、杉山県議会議。祝賀会のケーキカットの様子。

 ブラジル静岡県人会(原永門会長)は今年創立60周年を迎え、27日午前11時より同会館で記念式典を開催した。母県からは川勝平太県知事、杉山盛雄県議会議長らが出席し、記念の節目を祝すと共に、技術実習生の受入れ枠を拡大の検討を約束し、今後より一層交流を深めていく姿勢を示した。会場には過去最高の250人を超えるの県人会関係者が集まり、 ...

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「皆で集まって祝おう!」=8月に静岡県人会60周年式典

川崎副会長と原会長

 ブラジル静岡県人会(原長門会長)が8月27日午前11時から、創立60周年記念式典をサンパウロ市リベルダーデ区の同会館(Rua Vergueiro, 193, Liberdade)で開催する。母県からは川勝平太県知事、杉山盛雄県議会議長ら6人が出席予定。  会場には静岡新聞社が撮影した富士山写真30枚ほどが、提携紙であるニッケイ ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(2)

 アントニーナに未だ活気があった1907年、―日本人が訪れた。名は内田定槌(さだつち)。  リオ州ペトロポリス駐在の日本公使であった。  ポ語版のパラナ州日系社会史『AYUMI(歩み)』によれば、内田は付近を歩き、湿地帯が多いのを視て「稲作に適した土地だ」と言ったという。  それを聞いて記憶していた少年がいた。名はエイトール・ソ ...

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日本移民108周年記念=囚人の署名 平リカルド著 (翻訳)栗原章子=(4)

サンパウロの移民収容所、ずらりと2段ベッドが並ぶ様子(『南米写真帳』)1921年、永田稠著、発行=東京・日本力行会)

 この移民収容所は一八八七年に創設されたもので、一世紀にわたって六〇カ国余から移住者を受け入れてきた。もともと、移住者は奴隷の代わりに労働者として受け入れられていた。ところが、奴隷解放を謳った「アウレア法」が施行されると、奴隷は使用人になり、農場主は給金を支払わなければいけなくなった。その対策として移住受け入れが盛んになるのだが ...

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ニッケイ新聞と日系=サンパウロ 吉野功努雄(てつお)

 ニッケイ新聞土曜日の『国際派日本人養成講座』を興味深く読んでおります。『日本文化』も読みましたし、親戚にも送りました。本や新聞は一人でも多くの人に廻して読むように務めております。幸い今ではXEROXの機械が沢山あり、良い記事はコピーして皆んなに配っております。 『日本文化』は次世代の人が日系人であるという誇りと自信を持つ為に役 ...

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『日本文化』を読んで=ブラジルにおける日本文化の創造=宮城あきら(ブラジル沖縄県人移民研究塾代表)

平野植民地にある運平の胸像と拓魂碑

 最近ニッケイ新聞社が編集して創刊された『日本文化』誌に掲載されている諸論文を読んで、ブラジルに生きている私たち日系人にとって、「日本文化」、あるいは「日本(人)の心」とは一体如何なるものなのか、その創造はどのようになされるべきか、について、改めて考えさせられています。 ブラジル日本移民100周年以降、文協はじめ各都道府県県人会 ...

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平野運平伝記『森の夢』=サンパウロ市文協で無償配布中

 平野運平の生涯を描いた醍醐麻沙夫氏の著書『森の夢 ―平野運平と平野植民地の物語―』(初版1979年、216頁、パウロス美術印刷)が、サンパウロ市文協事務局にて無償配布されている。限定80冊。 同植民地が今年で入植百周年を迎えたことから、農業技師の続木善夫さんが「歴史を残さなくてはならない」と自身が所持していた同著の配布を決めた ...

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静岡県人会は先駆者に敬意を表さないのか?

中前隆博在サンパウロ総領事、白石一資ノロエステ連合課長、梶原義教西本願寺総長ら錚々たる出席者の中、なぜか平野運平の出身地、静岡県人会の代表だけいない…

 上塚周平は「移民の父」、渡辺トミ・マルガリーダは「コロニアの聖母」と言われるように、平野運平は「祖人」と形容される。その人にしか使われない特別な説明語が着く人物は、移民史上ごく少ない。本当に敬愛される人物にだけ許された特権だ▼「祖人」を辞書で探しても出てこない、コロニア独自の言葉使いだ。「祖」は「開祖・教祖」という言葉に使われ ...

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平野植民地入植百周年祝う=先人の苦闘に想い馳せ法要=サロン新設し盛大に式典=12家族で500人受け入れ

式典後に全員で記念撮影(最前列左が森部久会長)

 「感無量。言葉になりません」――平野運平が死んだ年にここで生まれ、現在まで住み続ける平川秀雄さん(96、二世)は、そう言葉を詰まらせた。カフェランジア市の「平野植民地」の百周年組織委員会(池田清美委員長)は2日、約500人の出席者を集め、盛大に記念法要と百周年式典を挙行した。大農場主からコロノ(農業労働者)として搾取されていた ...

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移民と共に歩む在聖総領事館=一世紀前の設立経緯追う=初代総領事と平野植民地の絆

1920年6、7月当時の在サンパウロ総領事館の天長節祝賀会の写真。中央の正装姿が公使館の書記官で、日本一の南米通といわれた野田領事。同年9月には藤田敏郎氏が総領事として赴任(『南米日本人写真帳』永田稠、日本力行会、1921年)

 ブラジルの日本国在外公館は、その歴史の最初から移民と共にあった。人文研年表には《1914年8月2日アウグスタ街297番でサンパウロ総領事館が事務を開始する》とあるが、史料を見ると、実はサンパウロにありながら「リオ総領事館」だった。一世紀前の設立経緯、そして最初の邦人自作農集団地の一つ、平野植民地との絆を探ってみた。  ちなみに ...

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