ニッケイ新聞 2014年3月1日 日系社会を代表する5団体と在聖総領事館が手を結んで1月に立ち上げた「ブラジルワールドカップ日本人訪問者サンパウロ支援委員会」が28日午前11時、サンパウロ市のブラジル日本文化福祉協会(文協)で会見し、設立の目的を発表し、公式サイト(www.bunkyo.org.br/ja-JP/worldcup ...
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リオ五輪で期待のブラジル柔道=強化・普及の源流を探る=(7)=中堅層の指導者育成が課題=移民発の日伯補完関係に
ニッケイ新聞 2014年2月13日 戦前、戦後を通じた日本移民の流入により、日本的な柔道が伝えられ深く社会に根付くに至った現状について、有段者会の会長を務める関根隆範(73、東京)は、「競技面で継続的に結果が出ていて、ある程度の普及にも一段落した今だからこそ、本来の柔道の目的である〃人づくり〃の原点に立ち返る必要がある」と警鐘を ...
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ニッケイ新聞 2014年2月6日 公文ブラジル進出は、海外展開の歴史の中でも米国、台湾に続き3番目と早かった。喜多川直也・現地社長は「創始者の公文公さん(故人)は、移民を受け入れてくれたブラジルに感謝の気持ちを持っていた」と明かす。パライゾ区に構えた自社ビルは赤字覚悟の着工で、10年にインドネシアに完工するまで自社ビルは日伯の ...
続きを読む »5団体が特別委員会を設立=W杯、修交120周年に向け=県連代表者会議で報告
ニッケイ新聞 2014年2月1日 ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)の1月度代表者会議が先月30日にあり、今年6月のサッカーW杯に向けた日本人訪問者支援委員会、来年の日伯修交120周年を記念した祭典委員会を、それぞれ先月中旬に日系5団体共催で立ち上げたことが発表された。 W杯の日本人訪問者支援については、ブラジル日本 ...
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ニッケイ新聞 2014年1月4日 コッパ・サンパウロに日本人として初出場を飾ったのは、1985年の三浦知良選手だ。カズは本紙新年号でも取材に応じてくれたが、82年に渡伯し、早くも85年に出場した。今回の大会には、10代で日本代表に選ばれるような〃超大物〃はいないものの、プロ選手としてトップチームに所属する木村裕、小林祐介や、1 ...
続きを読む »故郷の石で日本地図パネル=伯日青年会議所が制作=「帰国果たせぬ無念の先人に」=若い世代中心に企画実行
ニッケイ新聞 2013年12月19日 写真=パネルの左が児玉JCI事務総長、パネル右が間部日伯青年会議所会頭 「帰国の夢を果たせなかった無念の移民に、故郷の石をプレゼントしたい」——そんな思いを形にしたのは、ブラジル日本青年会議所(間部ジュン・ラファエル会頭)の「里帰り 日本とのふれあい」プロジェクトだ。各県の本物の石で作った ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (41)=〃南米浪人〃岡田芳太郎=蝸牛の如く徒歩16万キロ
ニッケイ新聞 2013年9月7日 当時レジストロ地方の植民地開発の魅力は広く知れ渡り、世界から日本人が集まっていた。なかでもレジストロで客死した〃世界徒歩旅行家〃岡田芳太郎は、謎の経歴をもつ人物だ。 日伯新聞1933年2月16日付け「徒歩旅行家岡田氏 レヂストロで客死」「足跡南北米に普く 行程実に十六万キロ」との記事があり、 ...
続きを読む »日本祭り=18万人来場、大盛況!=各イベントも活気あふれ=マルシア、涙の凱旋公演
ニッケイ新聞 2013年7月23日 ブラジル日本都道府県人会連合会が主催する『第16回日本祭り』がサンパウロ市ジャバクアラ区のイミグランテ会場で19日から3日間行われ、18万人が来場、晴天に恵まれ終日賑わいを見せた。日本からはマルシアの凱旋公演を始め、井上佑見や邦楽グループ「和力」、フリースタイルフットボール選手の徳田耕太郎さ ...
続きを読む »カンピーナスで日本祭り=多彩なショー、食も充実
ニッケイ新聞 2013年6月6日 カンピーナス日伯文化協会(安永ヒロミチ会長)主催の『第9回カンピーナス日本祭り』が8、9の両日午前10時から、同会館(Rua Camargo Paes, 118, Jd. Guanabara)である。入場無料。開会式は8日正午。 毎年2万人近くが訪れ、ステージでは、柔道、剣道、YOSAKOI ...
続きを読む »ブラジル文学に登場する日系人像を探る 7…東洋街生まれの「フジエ」…中田 みちよ=第2回=映画館で「日本」を満喫
ニッケイ新聞 2013年5月22日 「トシタロウは俺より5歳年長で、柔道ではずいぶん目をかけてくれた。黒帯の三段なのに、俺をいつも勝たせてくれる。チャンスをくれる。トシは畳の上でも畳の外でも偉大ですばらしかった。それまでに習った三人の師範よりも、トシから学ぶことのほうが多かった。これはたぶん、生まれながらの癖なのだが、俺は父親 ...
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