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柔道 関連記事

ブラジルの初場所=聖南西相撲、雨中の熱戦

2006年1月31日(火)  第二十八回聖南西すもう選手権大会(聖南西文化体育連合会主催)が二十九日午前八時から、オザスコ市のACENBO会館土俵で行われた。同大会は「ブラジルの初場所」。羽藤ジョージサンパウロ市会議員をはじめ、在サンパウロ日本国総領事館の森田聡領事、山戸ファビオ・オザスコ市会議員、小川彰夫文協副会長なども会場を ...

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国際人育てる大学を=サンパウロ市の日系男性=3次募集に応募=百周年事業

2006年1月11日(水)  百周年記念事業案として、新しく「ブラジル国際(日系)大学構想」がサンパウロ市在住の駒形秀雄エリオさんから同祭典協会(上原幸啓理事長)に提案された。これは昨年末まで同祭典協会が行っていた第三次募集に応募されたもの。  その基本理念は、「ブラジル社会だけでなく、国際社会で通用する立派なブラジル人(日系人 ...

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老ク年末助け合い運動=1万レ余施設に贈る

2005年12月24日(土)  [ロンドリーナ]当地在住、柔道の岡野義博さんへのロンドリーナ名誉市民権授与式が、去る十一月四日、市議会で行われた。家族、親族、友人、知人らが出席、栄誉を祝った。  国歌吹奏のあと。推薦者の金城ロベルト市議が岡野さんの功績を説明した。岡野さんは五五年から五十年間、一筋、柔道家の育成に努めてきた。教え ...

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勝ち負け問題=私の視点=安良田済=連載(下)=「自分の友人も円売人」

2005年12月17日(土)  醍醐氏は、水本サ紙社長は以前両替店を経営していたが、そう大量の円を持っていたとは考えられない。  自分は円を売ったことはない、社員のだれかが持ち出して売ったとしても自分の責任ではない、と水本社長は言ったと書いている、 だが、サ紙社に円売人がかなりひんぱんに出入りしていた評判もあった。  だから手持 ...

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高いレベル全伯日本語スピーチ・コン=〃意外な〃着眼、視点=8地区から24人参加

2005年11月18日(金)  国際交流基金サンパウロ日本文化センターは、第十一回全伯日本語スピーチコンテストを十二日午後一時から六時まで、同センター一階大ホールで開催した。ブラジリア、マナウス、ベレン、リオ・デ・ジャネイロなどブラジル国内八地区から、地区大会で優秀な成績を収めた二十四人が参加し、発表をした。会場には約五十人が訪 ...

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大耳小耳

2005年11月10日(木)  先日創立六十周年の式典を行ったリベイロン・ピーレスの文協は「アギア」と呼ばれている時代があったという。現在の執行部が若かりし頃、柔道や野球チームや青年会の名前を「アギア」(鷲)と名づけ活動していていたことに由来する。彼らが歳を取り、活動する場所が文協になったときも名残があったが、今ではすっかり聞か ...

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沖縄すもう観戦して=昨年復活=第2回大会開催へ=ジアデマ市

2005年9月29日(木)  まわしは身に付けず柔道着のような服をまとい、右四つに組みあった体勢で始まる「相撲」として知られる沖縄角力(すもう)の大会が十月二日、ジアデマ市のブラジル沖縄文化センター(与那嶺真次理事長)内会場で行われる。青年を中心に約百人が出場し熱戦を繰り広げる。  沖縄角力は張り手禁止、押し出しは決まり手になら ...

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個人では宮尾進氏=団体は文協が受賞= 外務大臣表彰

2005年9月29日(木)  在サンパウロ総領事館は二〇〇五(平成十七)年度外務大臣表彰の該当者を発表した。  個人ではサンパウロ人文科学研究所の宮尾進元所長。受賞の理由として、同研究所の創立に関わり、以来四十年間、日本人移民や日系社会研究に尽力したことが挙げられている。  団体では、ブラジル日本文化協会が受賞。一九五五年の創立 ...

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金とポスト餌に一本釣り=下院議長席めぐり裏工作=ダークホースけん制も兼ねて

2005年9月29日(木)  【エスタード・デ・サンパウロ紙二十八日】国会議員食堂スキャンダルの責任を取って議員辞職したセヴェリーノ・カヴァルカンテ下院議長の後任を決める選挙を二十八日に控え、大統領府のあるプラナルト宮はその前日、あわただしい動きに包まれた。  是が非でも議長ポストを与党に奪回したい大統領府は連立与党推薦のアルド ...

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イタペセリカ日本語学校「古希」=戦時中も〃もぐって〃授業――過去1度も途切れることなく=来月記念式典=「伝統守って行こう」

2005年9月22日(木)  古希を祝いましょう──。イタペセリカ・ダ・セーラ日本語学校の創立七十周年記念式典が十月十六日午前九時から、同市の文化体育協会会館で開かれる。外国語教育に対する規制にも屈せず、戦前から一度も途切れることなく続いた学校の一つ。当日は卒業生など五百~六百人が集まり、先駆者らを追悼。伝統を守っていくことを確 ...

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