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水野龍 関連記事

コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年8月24日付け  当然のように日伯、ブラジルと表記しながら「伯剌西爾」の由来を知らない。最初の2字は中国語の巴西(パーシー)の発音からきているとか。あとは当て字のような気もするが。当て字といえば「舞楽而留」▼皇国移民会社の水野龍の作とも言われ、移民募集の名コピーだろう。「舞って楽しみそして留まれ」というわ ...

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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第8回=華麗なる慶應義塾人脈=幻の第1回移民船土佐丸

ニッケイ新聞 2011年8月20日付け  ブラジル移民史的にいえば、三越デパートの高橋義雄よりも武藤山治の方がはるかに近い存在だ。武藤は1928(昭和3)年に南米拓殖会社をつくり、鐘紡社長としてアマゾン移民導入を図った人物として知られている。だが実ははるか以前から慶應の同窓生である水野龍を通して、移民事業とは縁が深かった。  武 ...

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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第7回=国際的国粋志向のどこか=華麗なる慶應義塾人脈

ニッケイ新聞 2011年8月19日付け  大隈重信に爆弾テロを行った来島恒喜は、福岡藩士の息子として生れ、中江兆民に仏語を学び、玄洋社に参加した。来島は水野の1歳年下であり、同じような時代の空気を吸って、同じようなことを考えた人物だ。わずかな違いは、爆弾を入れた箱が湿気ていなかったことだろう。  テロの後、あの勝海舟によって谷中 ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年8月19日付け  水野龍は後藤象二郎の紹介で妻を娶ったことは、連載の中で書いた。そこでアッと気づいた。後藤の娘・早苗と結婚したのは、三菱創立者の岩崎彌太郎の弟・彌之助。その岩崎彌太郎の長男・久彌が、1927年に個人出資でカンピーナス市に購入したのが東山農場だ。このような維新以来の人脈が当地にも反映されてい ...

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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第6回=一生を貫く過激な性向=過激演説で再び投獄に

ニッケイ新聞 2011年8月18日付け  大隈重信襲撃事件といえば、日本史上有名なのは1889年に起きた右翼組織・玄洋社の一員だった来島恒喜(くるしま・つねき)による爆弾テロだ。  外国人判事を導入するという条約案に反対した来島は、大隈外務大臣(当時)の乗った馬車に爆弾を投げつけ、右足切断の大怪我を負わせ、31歳だった来島はその ...

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「彼なくしてブラジル移民なし」=水野龍60年忌特別法要=遺族や笠戸丸子孫も参拝=毀誉褒貶ある生涯を追悼

ニッケイ新聞 2011年8月17日付け  「こんなにたくさんお参りいただき、本当にありがたい」。水野龍60年忌が行われた14日、会場となったサンパウロ市の本門佛立宗日教寺(コレイア教伯教区長)の本堂には300人以上が集まり立って参拝する人までいる様子を見ながら、パラナ州クリチーバ市から駆けつけた息子の水野龍三郎さん(80、二世) ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2011年8月17日付け  妻が高知県佐川町の松村滋樹さんから、「水野龍の生家が、家内の叔父の家の隣に建っています」と写真提供を受けた。「すわ貴重なものを入手」とばかりに、さっそく龍三郎さんに見せた。すると「僕も日本に行ったときに水野の生れた家に案内してもらったが、すでに壊されて平地になっていた」と言われ、がっかり ...

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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第5回=大隈重信侯の爆殺謀る=近代史変える危険人物に?!

ニッケイ新聞 2011年8月16日付け  実は水野は慶應義塾に入る前、のちに世話になる後藤象二郎らとは対立する立場、1882年3月結成の立憲帝政党だ。与党支持側に組し、当初はこれを政界進出の踏み台にしようとしていたようだ。『略伝』には「水野は政治に熱中し、福地源一郎、水野虎之助、丸山作樂等と帝政党を創ったり」(7頁)とある。   ...

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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第4回=後藤や福沢から強い影響=慶應で出会った「武良尻」

ニッケイ新聞 2011年8月13日付け  〃禁獄事件〃の後に東京へ出た水野龍は当初、郷里の先輩で宮内次官になっていた大橋眞三を頼った。だが兄の訃報に接し、いったん帰郷して家事を手伝い、その後、再上京した。彼の望みを満たす何かは、中央にしかなかった。  今度は維新の元勲・後藤象二郎のコネに頼って、官僚になる道を目指した。坂本龍馬が ...

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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第3回=学び舎で勤王の志士に=吉田東洋暗殺関係者も学友?!

ニッケイ新聞 2011年8月12日付け  水野龍は江戸時代の1859(安政6)年11月11日、土佐藩主山内氏の家老・深尾氏一族の家臣・亀子(カメス)の次男として土佐国高岡郡佐川(さかわ)町で生まれた。時まさに幕末の四賢侯と謳われた藩主・山内豊信(容堂)の隠居、梅田雲濱の獄死、吉田松陰の処刑など幕末の風雲急を告げる折であった。   ...

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