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水野龍 関連記事

水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土に植えた男=第2回=19歳の原点、自由民権運動=あまりに過激な演説で禁獄

ニッケイ新聞 2011年8月11日付け  「ここに座って、だまって周りを見てみなさい」——初対面の住職は唐突にそう言い放ち、本堂の真ん中を指差した。龍三郎は何がなんだか分からぬまま、言われたとおりにした。  09年8月に水野龍生誕百五十年記念事業が高知県佐川町で行なわれた際に主催者から招待され、初めて父の郷里に足を踏み入れた時の ...

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14日に水野龍60年忌法要=龍三郎さんも特別に出席

ニッケイ新聞 2011年8月11日付け  ブラジル本門佛立宗(教区長=コレイア教伯)では14日午前8時からサンパウロ市ビラ・マリアーナ区にある中央寺院日教寺(Rua Ibaragui Nissui, 166)で〃移民の祖〃水野龍60年忌の特別法要を開催するにあたり、広くコムニダーデからの参加を呼びかけている。  水野龍が1908 ...

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水野龍60年忌特別連載=大和民草を赤土(テーラロッシャ)に植えた男=第1回=知られざる家族の逸話=息子「悪人だと思っていた」

ニッケイ新聞 2011年8月10日付け  「移民事業は失敗だったと落胆したまま親父は死んだんです。百周年でブラジル社会、日本社会からあのような賞賛が寄せられたことを、まず母親に伝えたかった」。〃ブラジル移民の祖〃水野龍(1859—1951年、高知)の息子、龍三郎(80、二世)の語る父親像は衝撃的な内容だった。笠戸丸移民からお金を ...

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〜OBからの一筆啓上〜パウリスタ新聞の思い出=田中慎二(元パウリスタ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年8月10日付け  私がパウリスタ新聞に入社したのは1960年9月。当時の編集長は木村義臣さんで、社会部のデスクが藤田普一郎さん。  田村幸重、平田進、野村丈吾といった日系議員の活躍が紙面を飾り、その年末のタイム誌に「マベ黄金の年」という1ページの紹介記事がでるなど、画家の間部学さんが世界のマベとして飛躍し ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年8月10日付け  水野龍の息子、龍三郎さん(80、二世)宅はパラナ州都クリチーバ郊外にあった。あまり裕福な地区ではなく、実に質素な家に住んでいた。44歳年下の妻との間には15歳を先頭に2歳半まで3人の子供がおり、ヤキソバ弁当を作って日々の生計を立てている。あの水野龍の息子がこのような質素な暮らし——と考え ...

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高知新聞百周年連載『南へ』=聴く移住史、音声版CD完成=富尾記者が県人会へ寄贈

ニッケイ新聞 2011年7月7日付け  南米に渡った高知県出身の移民の軌跡を綴った書籍『南へ 高知県人中南米移住100年』(高知新聞社刊)の音声版CDが制作されたとして、取材と本書の執筆を手がけた高知新聞社会部の富尾和方記者(37、徳島)が1日に来伯、高知県人会の片山アルナルド会長に手渡した。  『南へ』は約180ページで5部構 ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年7月7日付け  まずは訂正ー。先月30日付け小欄で初の日系大臣だった安田ファビオ氏の逝去について触れた。父良一氏の経歴について日伯毎日新聞連載をまとめた『顔』をそのまま引用し、通訳五人男の一人と書いたが大間違い。正しくは、加藤順之助、嶺昌、仁平崇、大野基尚、平野運平。いやはや、コロニア記者として汗顔の至り ...

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神戸=水野龍と上塚周平=両顕彰会が交流誓う

ニッケイ新聞 2011年3月24日付け  【高知新聞=富尾和方記者】「ブラジル移住の父」と呼ばれる高知県高岡郡佐川町出身の水野龍(1859〜1951年)と、水野の右腕として現地で活躍した熊本県出身の上塚周平(1876〜1935年)の功績をそれぞれ顕彰する本県と熊本県の関係者がこのほど、ブラジル移民発祥の地、神戸で初めて顔を合わせ ...

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【特集 本門佛立宗】信者らの感謝の言葉=水野龍の息子=龍三郎さんも

ニッケイ新聞 2010年12月3日付け  「毎日お参りに通います」と元気に話すのは、北村栄子さん(76、二世)。夫が縁で本門佛立宗に改宗、それ以来56年間信仰を続ける。  その夫は25年前、癌と診断された。「医者にもダメだと言われた時、教務さんが毎日2時間お祈りを続けてくれた。すると、すっかりよくなった」と有難がる。その後病状は ...

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「龍馬の夢は移住開拓だった」=原口教授が会場沸かす=排除しない共生の道求め=「今こそ彼の生き方を」

ニッケイ新聞 2010年10月23日付け  「龍馬の夢は北海道で実現している。彼の共生思想、人間の和を作る考え方が移住に生かされていればアイヌとの関係も変わっていただろう」。20日に宮城県人会館で行われた講演会「なぜ今、竜馬なのか」で、鹿児島大学の原口泉教授はそう語り、もし龍馬が生きていれば移住や開拓に人生を費やしていた可能性を ...

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