コーヒー
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(61)
なぜなら、村には何人ものカマグワァーがいて、他の場所の者との間でまちがいがおきる。そこで、名前の前に名字をつけるようにした。二人を間違えないよう、フサコや親類の者たちは母をイイムイカマ
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日系社会ニュース
ブラジル政府=日本人観光客もっと来て!=6月17日からビザ免除=コパ・アメリカ日本戦初日
日本、アメリカ、カナダ、オーストラリアからブラジルへの観光・短期商用等を目的とする訪問者に対するビザ(90日間)が、6月17日から免除されることになった。訪米中のボルソナロ大統領は18日に大統領令に
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特別寄稿
特別寄稿=日系三世として生まれた私の決意=林ジェオバーナあより
私がブラジルに来る決意をしたのは、大学4年生の就職活動をしていた時でした。就職活動をする前までは、私は教員を目指していました。 しかし、4年生の5月に実際に教育実習に行って、教員という仕事がいかに
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日系社会ニュース
■訃報■吉永正義さん
アマゾン地方やペルー日系社会と長年交流を続けてきた福岡市在住の吉永正義さんが、3日、市内病院にて癌のため亡くなった。享年79。 吉永さんは、北九州市出身。拓殖大学在学時の62年に学移連第3次南米実
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(59)
沖縄の状況も似たようなものだった。1920年前半、つまり、大正時代(1912─1926)の末期に、砂糖の生産量は1888年に比較し10倍になっていたが、価格は大きく低下し、その結果、その後、沖縄の海
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(55)
こうして、グアタパラ耕地で知りあった者たちが、チエテ川から少し北にいったタバチンガで再び生活を共にすることになった。 当時、その地帯では主に棉が栽培されており、彼らも棉栽培にとり組んだ。パウケイマ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(54)
こうして、彼らは別の道を歩むことになった。 正輝は父親と同年輩の移民のやさしい家族に迎えられた。名前を稲嶺盛一といい、妻は沖縄でよく使われるウマニーという愛称でよばれていた。彼女は正輝を自分の息子
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(53)
生活費を稼ぐために、請負人はコーヒー栽培の合間に米とフェイジョン豆の間作がゆるされ、収穫物は彼らのものになるのだった。また、最初に収穫されたコーヒーも彼らがうけとった。請負期間がすむと、契約金をうけ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(52)
サン・マルチニョ耕地から脱走したいきさつもあり、それだけの金を貯めることなどできなかったのだ。樽の家族は経済や財政に関してはまるで無能な遺伝子が受け継がれているようにみえる。1910年後半から193
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(51)
樽、ウシ、正輝が沖縄をあとにしてから、忠道は生きる意欲をすっかり失ったとのことだった。借金の返済もできず、競馬にうつつをぬかしたことで家が破綻し、結婚したばかりの弟、その妻、そして自分の次男を遠いブ
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