この家の母親が園長先生で、大学を出たばかりの大層美しい娘が手伝っていた。ご主人は影が薄くて時折見かけるくらいだった。そしておばあちゃんもいた。もうとっくに八〇歳を超えていて、家の前のベランダで、小さな体を、籐椅子の中に埋まるようにして日向ぼっこをしながら、ひがな居眠りをしていた。 ちょうどあの日は冬休みに入った数日後だった。 ...
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どこから来たの=大門千夏=(16)
彼の細工場は街の中央の古いビルの中にある。このビルに入ると大理石を敷き詰めた丸いホールがあって、正面の壁には細かいタイル細工でコーヒー園の様子が描かれている。よく見ると右下にかの有名なニーマイヤのサインがしてある。 天井は高く、壁、ドアの飾りつけは銅版が使われて、いつも掃除婦がピカピカに磨きあげている。ブラジルの良き時代、コ ...
続きを読む »《ブラジル南部》「死の高速道」車線の拡大工事が完了=事故多発地帯の安全性高まるか
7年間に及ぶ工事の末、19日にロドヴィア・レジス・ビッテンクールの車線拡大工事の最終区間の工事が完成したと20日付現地各紙が報じた。 ロドヴィア・レジス・ビッテンクールは、ブラジル北東部セアラー州からブラジル南部のリオ・グランデ・ド・スール州を結ぶ、およそ4500キロに及ぶ国道116号線の内、サンパウロ市~パラナ州クリチーバ ...
続きを読む »89℃コーヒー・ステーション=東洋街に丸海グループ新店舗
丸海グループ(グオ・ジョニー社長)は、喫茶店「89℃コーヒー・ステーション」(Praça da Liberdade, 169)を19日、サンパウロ市のリベルダーデ広場に開店した。日本の喫茶店をイメージした店内ではコーヒーやケーキ等のほか、弁当や清涼飲料水も販売している。 飲み物はコーヒーからお茶、ホットチョコレートなど幅広く ...
続きを読む »どこから来たの=大門千夏=(10)
相変わらず馬鹿正直でうんざりすることは度々あったが結婚生活は平穏に続いた。 いくら金儲けが上手でもケチでお金に汚い男ではどうにもならない。これでいいんだ。私の分相応な夫なのだと自分を慰め慰めてのあっという間の二五年、幸いなるかな最後まで「保険」を受け取るチャンスはなかった。(二〇〇九年) サバサバと話せる日 サンジョアキン ...
続きを読む »どこから来たの=大門千夏=(1)
第一章 大きい事は良いことだ 私たちの結婚式が済んで三ヵ月経った。荷物も片付き家の中も落ち着いた。一九六五年のある朝、コーヒーを飲みながら夫は「結婚記念に絵を買おう」と言った。 「賛成」。結婚の思い出には、食器より、花瓶より、小さな絨毯より、絵が最高! 一枚の絵を飾ろう。その日のうちに飾る場所は決まった。応接間に入った真正面 ...
続きを読む »リオから大統領が生まれないその理由は?
ブラジルの政界用語の中のひとつに「カフェ・コン・レイテ(コーヒーと牛乳)」という言葉がある。これは「カフェ」がサンパウロ州、「レイテ」がミナス・ジェライス州を、それぞれの特産品に喩えたものだ。これはつまり、「ブラジルの大統領は伝統的にこの2州の政治の長の持ち回り」ということを意味する▼実際問題、共和国になった1889年から19 ...
続きを読む »回想=渡満、終戦、そして引き揚げ=浜田米伊=(11)
苦しみや悲しみにうち沈んでいる内に時が経ち、翌1975年7月18、19、20日の3日間、朝に大霜が降り、コーヒーの木は全滅。この時はさすがに私でも希望を失い、元気もなくなってしまいました。 この頃のコーヒーの木は12年木となっており、毎年大成りが続いていたのです。また、買ったばかりの車の支払いも残っておりましたし、コーヒー園 ...
続きを読む »回想=渡満、終戦、そして引き揚げ=浜田米伊=(10)
コーヒーの木が小さい時は間作といって、その間、色々な雑穀を植えるのです。米は中へ4通り、フェジョン、大豆、ミーリョ(とうもろこし)と色々な種を蒔きました。どこの家もポルコは太らせて売りますから、ミーリョが一番必要なものです。米の収穫などで、倉庫も建てました。 私の家は主にコーヒーの種類はムンドノーボ、ボルボン、スマトラという ...
続きを読む »回想=渡満、終戦、そして引き揚げ=浜田米伊=(9)
すると思いがけなく、そこの地主の国井さんという人が、こちらが払った分をそっくり持ってきて返して下さったことには、みんなが驚きました。こちらがやめたものだから、そのお金を返してもらえる等とは誰一人思っていなかったのです。ブラジルにもこんなに心の温かい人がいるものだと、有難く思いました。 こんな事で、1962年に自分の土地に入植 ...
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