ほんの10年前まで、私たち母娘はブラジルとこんなに深い絆ができるとは考えもつかなかった。日本人の誰もが思い描く、コーヒー豆とサッカーとサンバと広い大地。それが母娘のブラジルの知識だった。 まず、娘・裕美子が初めてブラジルに足を踏み入れたのは、大学の卒業旅行で南米を旅した時であった。卒業式前日に真っ黒に日焼けした顔で帰国した娘 ...
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開発に心血注いだ青年隊が60周年=開発前線の思い出に花咲かせ=還暦の節目164人で祝う
戦後、新天地に夢を追い、国家建設に燃えた青年たちが渡伯して60年―。南米産業開発青年隊協会(渡邉進会長)は先月29、30両日、サンパウロ州郊外アヴァレー郡内ホテルで、『60周年記念大会』を開催した。全伯各地、遠くは日本やポルトガルから延べ57人の元隊員が結集。その家族ら合わせ164人が熱く抱擁を交わし、再会を悦んだ。 青年隊 ...
続きを読む »第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(5)=この地で健闘する戦後移民
ウマラマといえば青年隊の〝故郷〟との印象だったが、この地でもコチア青年を見つけた。パラナ州に入ったのは戦前移民の子供世代が中心だったが、今回の旅を通して、青年隊はもちろん、意外に戦後移民があちこちに入って健闘していることを痛感した。 たとえばコチア青年1期1回の高橋隆さん(79、山形県)だ。のっけから「ブラジルは面白いよ。何 ...
続きを読む »ニッケイ俳壇(912)=星野瞳 選
道のない道=村上尚子=(22)
父は、あまりの苦しさに、お金を借りる手紙を書いたらしい。日が過ぎて忘れた頃に、今度は馬車を使って、保明が豚を五頭持ってきた。どうやら、借金の代わりに豚で払ったようだ。山城さんの豚小屋に、保明の持ってきた豚を放した。これが、あまりにも痩せこけていた。この家の息子が、思わず笑ってしまうほどに…… その山城家とは、あれ以来逢ってい ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(18)
「母が、さすがに私たちのことを放っておけずに、父を説得したのだろうか?」 その時は、何が何だか分からずに、すぐに山城家に向かった。私は内心あのおじさんなら、と思えたからでもあるが。無一文の私たちは、支度らしい支度はほとんどいらず、身ひとつで引取られて行った。 着いてみると、山城家には私たちと似たりよったりの年頃の息子が三人、 ...
続きを読む »ニッケイ歌壇(523)=上妻博彦 選
サンパウロ 梅崎 嘉明 大鳥居くぐればピニアル植民地広き会館太鼓の響く 誘はれて出で来しピニアル別名は福井村とかデコポン産地 福井村と記せる法被で商える老若男女さながら日本 一つのみ食べても良しと許されてデコポン狩りに人はにぎわう デコポンと誰が名付けしや稚拙とも愛嬌とも言われ馴染める 「評」『実相観入』とは、茂吉 ...
続きを読む »ニッケイ俳壇(910)=星野瞳 選
アリアンサ 新津 稚鴎 淋しさの寒月光に身を委ね 麻州野の大夕焼の森閑と 鳳梨売る砦の如く積み上げて 霧の中飛び来るは皆トッカーノ グァタパラ 田中 独行 巻き風の吹き上げておりパイナ飛ぶ 人あまり通らぬ街路パイナ敷く 短日や自転車の道暮れ初めし 短日や昨日忘れし鎌ありぬ 痩せ畑に月満ちし度霜三度 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(15)
「お父さんは、あの恩給で自分自身をダメにしてしもうた……」 この知らせを境に、父はいよいよワンマンになり、皆を頭から押さえ付けた。何より茂夫に対する苛めが、度を越してきた。ついにこの孤独な彼を見かねた私は、別居を申し出た。というより喧嘩別れである。 別居と云っても、仕事場も何も変わらない。住む家だけの話。私と茂夫、赤ん坊の三 ...
続きを読む »日本の味と可愛らしさで勝負!=洋菓子店『スウィートデリ』
サンパウロ市パウリスタ大通り沿い、コンソラソン駅近くのガレリア内にある洋菓子店『SWEET DELI』。2014年の開店以来、〝精細な日本の洋菓子技術と味〟を追究し続けており、「和風の洋菓子」のこだわりが溢れた商品がズラリ。 ショーケースに並べられた洋菓子はみな、店舗内の調理場で日系男性パティシエ2人がその日に作ったもの。可 ...
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