1931年3月11日の入植から85年――。知識人が住み、文芸活動が活発な「文化村」として名を馳せたサンパウロ州スザノ市の福博村(Associacao dos amigos do Bairro das Palmeiras)が入植85周年を迎え、20日に同村会館で記念式典を行なった。およそ200人の村民らが祝福に駆けつけ、文化村の ...
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掛け橋協がリオ資料展=30日から3日間、宮城で
日伯友好掛け橋協会(中沢宏一会長)は30日から3日間、サンパウロ市の宮城県人会館(Rua Fagundes,152, Liberdade)で「19世紀の日伯関係とリオデジャネイロ」と題して展示会と講演を行なう。 「若宮丸漂流民」「榎本武揚のリオ寄港」を題材とし、写真や詳細を掲載したパネルが30枚展示される。開場は30日午後2~ ...
続きを読む »「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(32)
思い切って早起きして、『強制送還』というキーワードでネットサーフィンすると、入国管理局のホームページにたどり着いた。『法務省入国管理局では、“ルールを守って国際化”を合い言葉に出入国管理行政を通じて日本と世界を結び、人々の国際的な交流の円滑化を図るとともに、我が国にとって好ましくない外国人を強制的に国外に退去させることにより、 ...
続きを読む »31歳、ジョナスの挑戦=ポルトガルリーグの得点王
2018年ロシアW杯出場を目指し、南米予選を戦っているブラジル代表のFWジョナス(31)は、ポルトガルの名門ベンフィカで今期、27試合29得点の活躍で代表に招集されたが、そんな彼が、プロのキャリアを諦め、薬局に勤める寸前だった事を23日付エスタード紙が報じた。 ポルトガルリーグで首位を走るベンフィカのエース、ジョナスは代表合流 ...
続きを読む »「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(19)
ペドロの顔つきから、父親は日本人「らしい」が、名前は分からない。 余談だが、昨日俺は、たまたまカロリーナが住むマンションの前を車で通り、プレイロットでペドロを遊ばせているカロリーナと女中を見かけた。 カロリーナは、まだ母親役が身についていない様子で、子供は女中の方になついていた。(5)結論 調査結果から推定すると、リカルド田中 ...
続きを読む »「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(16)
木村氏は、帰国後さっそく有限会社を設立した。専門業者と提携して、有機栽培コーヒーや無添加ハーブティーの自動販売機を関東周辺に設置し、一時期は儲けたものの、やがて競争相手が現れ、市場の拡大は頭打ちになった。「帰国して商売を始めた頃は、苦労の連続でした。最初は大久保の職安通りにあるビルに事務所を構えて、従業員を数人雇っていましたが ...
続きを読む »「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(15)
握手と名刺交換のあと、木村社長は、わざとらしいほど気さくな態度で話し出した。「ジュリオさんですね。南米にいた頃、時々お名前をお聞きしましたよ。我々の先輩として活躍されていたそうですね。日本には永久帰国ですか」「はい。もう金儲けには飽きたんで、これからの人生はゆっくりと楽しみますよ。今日は、お忙しいところ時間をいただき、ありがと ...
続きを読む »「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(14)
9月3日・土曜日の朝、一つの布団から起き出した二人は、お互い何となく恥ずかしさを感じながら、いつもどおりシャワーを浴びて朝食をとった。 朝から日差しが照りつけて暑くなりそうな日だったが、二人はブラジル人の夫婦のように格好よく肩を抱き合い、さわやかな気分で仕事に出かけた。「アテ・ローゴ(またあとでね)!」 大通りに出たところで、 ...
続きを読む »「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(12)
アナは定時で仕事を終えてから、正社員以外にも開放されているスポーツジムやエアロビクススタジオに寄って汗をかいた。そうした施設の中は日本人ばかりで、外人が入りにくい雰囲気だったが、アナは、持ち前の積極性と少しはできる日本語を使って、日本人社会に溶け込む努力をした。 スポーツジムでシャワーを浴びたあとは、帰り道でスーパーに寄り、リ ...
続きを読む »「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(11)
店の隣には旅行代理店、道路の反対側には雑貨店やレストランがポルトガル語やスペイン語の看板を掲げて商売をしている。なるほど山本が言った通り、その街では日本語ができなくても生活できそうだ。 リカルドとアナは、それらの店で当面の生活に必要な食料品や雑貨品を買い揃え、かかった経費は後で折半した。 「電子レンジと冷蔵庫は早く買ったほうが ...
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