そこには、日本人たちの特別な思い入れがあった。 「ここであれば、大量の米を作って存分に収穫することができる」 それが、この平野植民地に入植してきた人々の共通した考えであった。 日本人の場合、農業といえばまず、米作りであった。米を作っていれば、自分たちの勝手知った作物でもあり経験度も高かったから、それを成功させる自信があった ...
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■訃報■コロニア俳壇の長老=栢野桂山さん
栢野桂山(かやの・けいざん)こと、栢野計治(かやの・けいじ)さんが3日正午頃自宅で亡くなった。行年102歳。100歳を超えても元気ですごしていたが、2~3週間前から食事量が段々と減り、老衰のため亡くなったという。 翌日4日午前10時にモルンビー墓地に埋葬。コロナ禍のため葬儀は行われず、近親者のみが見送った。 栢野さんは19 ...
続きを読む »■訃報■ 安永忠邦さん
“移民の父”上塚周平を知る最期の生き証人、安永忠邦さん(二世)が23日12時に聖州プロミッソン市の自宅で老衰のために亡くなった。「上塚植民地」と言われた当時に、プロミッソンの自宅農園で生まれ育ち、そこで99歳の生涯を全うした。 戦時中に枢軸国移民が「敵性国民」と弾圧される中でもこっそりと日本語を教え、子供達に教育勅語を語りつ ...
続きを読む »中島宏著『クリスト・レイ』第56話
二人の場合、ほぼバイリンガルになりつつあったが、そのことが後になって大きな意味を持つことになるとは、無論この時点では二人ともまだ知る由もない。この時期は、二人は日本語だけで話しているが、これはマルコスにとって一方的に有利といえた。彼の日本語は上達していくが、アヤのポルトガル語は、上達の機会を押さえられてしまっているという感じで ...
続きを読む »中島宏著『クリスト・レイ』第54話
個人的な感情をそこに投入するのは、いささか常識から外れているようにも思われるのだが、彼にとっては、これらのすべてが互いに繋がっているというふうに考えているから、そこに矛盾はない。ここにある隠れキリシタンの物語はそのまま、アヤの人間性にも繋がっているはずだし、それを知ることによってもっと、彼女の内面を窺い知ることもできるのではな ...
続きを読む »宮城埼玉東京の屋台祭り=県人会連帯して500食超え=「皆で協力して盛り上げよう!」
宮城県人会(上利エジガー会長)、埼玉県人会(吉田章則会長)、東京都友会(鈴木ワグネル会長)の3県人会が協力して9月12日に「ドライブスルー屋台祭り」を宮城県人会館で開催した。「コロナ禍でどこの県人会も大変ですが、皆が協力したら成功することを改めて感じました。他の県人会でも人手が足りないとこは、ぜひお手伝いしますよ!」――埼玉の ...
続きを読む »日本移民と邦字紙の絆=日系メディア百年史(14)
日本国内からの移民送出圧力が高まる中、米国への流れを途絶されたわけだ。困った日本政府は1924(大正13)年からブラジル渡航の移民全員に船賃支給をするなどの国策を開始したため、この流れは本格的にブラジルに向くようになった。 日本のラジオ放送は1925年3月に約5000世帯の受信者から始まったが、1928年には50万世帯、19 ...
続きを読む »6月の月次決算が過去最高益=農業機器メーカー=CCM DO BRSIL社
ブラジル日系会社や日本から進出している日系企業の多くは、工場の操業停止や仕事の自主規制、或いはテレワークなどを余儀なくされているのが現状だ。こうした状況の中で日系人経営者の中には、コロナ渦に負けず操業を停止することなく、3月以前の生産と販売を維持している会社も多い。 この中でもパラナ州クリチバ市に本社がある農業機器メーカーの ...
続きを読む »日本移民と邦字紙の絆=日系メディア百年史(4)
笠戸丸移民の多くが幼年期から思春期という人格形成期をすごした明治20年代(1887年~1897年)以降は、日本という国家自体もまた形成期でもあった。欧米列強に侵略されないように富国強兵を旗印にし、ドイツなどを模範にして矢継ぎ早に社会構造を根本から変えていった。 サンパウロ州政府は当初、日本移民は試験導入しか考えていなかった。 ...
続きを読む »宮城埼玉東京=屋台祭り8日までに予約を=カツサンド、クレープなど10品
宮城県人会(上利エジガー会長)、埼玉県人会(吉田章則会長)、東京都友会(鈴木ワグネル会長)の3県人会は12日に「宮城埼玉東京屋台祭り」を開催する。会場はサンパウロ市リベルダーデ区にある宮城県人会(Rua Fagundes,152,liberdade)。事前予約制、ドライブスルー持ち帰りのみで販売を行う。注文期限は8日まで。 ...
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