ホーム | コーヒー 関連記事 (ページ 70)

コーヒー 関連記事

障害者も接客業務に採用=企業が本人達の特性評価

ニッケイ新聞 2012年3月8日付け  ブラジルの銀行やスーパーなどで、ダウン症や学習障害といった問題を抱える障害者の特性を認め、顧客に直接応対する業務にも配属する傾向が見られると4日付フォーリャ紙が報じた。  従来は接客業務などからはずされていた障害者が起用された例として挙げられたのは、シティバンクの案内係のエドゥアルド・フェ ...

続きを読む »

地域産品の展示会に150人=経産省「クール・ジャパン」=来年度から本格売り出しへ=食器など138品を紹介

ニッケイ新聞 2012年3月6日付け  日本の魅力ある地域産品の販売拡大を通じて海外に〃日本らしさ〃を普及すると同時に、日本の地域中小企業のブラジル進出を支援する、日本の経済産業省の推進事業『クール・ジャパン』がブラジルでのプロジェクトが昨年から始動している。その一環の市場調査として先月28日夜、サンパウロ市内のレストラン「らん ...

続きを読む »

世界の邦字紙から=最近のパラグァイ事情=坂本邦雄

ニッケイ新聞 2012年2月4日付け  坂本邦雄さん(82、神奈川県横浜市)=パラグァイ国アスンシオン在住=は元ブラジル移民だ。昨年パラグァイ移民は開始75周年を迎えたが、坂本さんは南米にきて78年目。4歳の時、最初に入植したのはブラジルのモジアナ線カニンデ駅のコーヒー耕地だったからだ。両親に連れられて坂本さんがアスンシオンに到 ...

続きを読む »

1962年3月21日着=さんとす丸同船者会=我らの半世紀を語ろう

ニッケイ新聞 2012年2月3日付け  1962年3月21日着伯「さんとす丸」の同船者会が3月25日午前10時から、山形県人会(Av. Liberdade, 486, sala 24, Liberdade)で開かれる。参加費40レアル。申込み締切り3月10日。  発起人の鳴海吉雄(84、北海道)、和田繁治さん(63、熊本)が案内 ...

続きを読む »

知られざる麻州日系史=「本当の野心家多かった」=リオ・フェーロ、カッペン植民地

新年特集号 ニッケイ新聞 2012年1月1日付け  昨年9月末に行われた第1回クイアバ七夕祭り。念願の祭りを開催するに至るまでの経緯を、実行委員長を務めた地元の戦後移民、尾崎堯さん(76、秋田)に聞いた。尾崎さんはマット・グロッソ州都クイアバ市から北北東に約500キロ先、和歌山県人の松原安太郎によって開設された「リオ・フェーロ植 ...

続きを読む »

本部より一足早く60周年=熊本県人会ロンドリーナ支部=サンパウロから慶祝団も=婦人部20周年もあわせ

ニッケイ新聞 2011年12月6日付け  熊本県人会ロンドリーナ支部(平川俊六会長、60家族)は同会創立60周年・婦人部発足40周年を祝う記念式典を13日、同市の東本願寺会館で開催した。サンパウロの同会本部(小山田祥男会長)より7年早く結成されている。同州セルタネージャ、マウアー・ダ・セーラなど近郊からも会員が参加したほか、本部 ...

続きを読む »

第41回山本喜誉司賞=農業人生に夢と誇り持ち=興梠、竹原、中隈3氏に

ニッケイ新聞 2011年12月2日付け  農業分野の貢献者に与えられる山本喜誉司賞(近藤四郎選考委員長)の『第41回受賞式典』が先月25日午後7時から、リベルダーデ区の文協ビル貴賓室で執り行われた。今回の受賞者は興梠太平氏(76、宮崎)、竹原祐貞氏(72、同)、中隈ジョージ氏(71、二世)の三氏。今回2つ以上の団体の推薦を受けた ...

続きを読む »

■たずねびと■関藤一家を知りませんか?

ニッケイ新聞 2011年11月26日付け  クリチーバ市在住の東山輝雄さん(88、岡山)が、1930年6月にぶえのすあいれす丸で共に来伯した叔父の関藤一夫さんと連絡が途絶えた。本人もしくは親族を探している。  関藤さんも岡山県出身で来伯当時は20歳前、生きていれば100歳近い。着伯後、東山一家とサンパウロ州サンシモン市のコーヒー ...

続きを読む »

ぶえのすあいれす丸同船者会=航海問わず20人が参加=思い出話に笑顔があふれ=連絡先交換、新たな友情も

ニッケイ新聞 2011年11月25日付け  戦前最後(1941年8月)のぶえのすあいれす丸で来伯した森広雅夫さん(80、岡山)=サンパウロ市=が音頭を取り、航海の別を問わない〃同船者会〃を20日、リベルダーデ区のレストランで開いた。同船者や親族ら約20人が集い、船中での思い出話やそれぞれの人生を語り合った。  先没者に黙祷を捧げ ...

続きを読む »

【高拓生入植80周年】アマゾンに産業興す=一石二鳥の有益事業

ニッケイ新聞 2011年11月25日付け  ゴム産業が衰退していた当時、アマゾナス州は百万ヘクタールの土地の無償譲渡と引き換えに日本人移住者の受け入れを図った。  1930年、〃アマゾン開拓の父〃故上塚司はパリンチンス市下流をヴィラ・アマゾニアと命名し、アマゾニア産業研究所を建設。続いて、開拓の人材育成のため国士館高等拓殖学校( ...

続きを読む »