ニッケイ新聞 2010年6月23日付け 移民の日の18日、サンパウロ市議会が水野龍を顕彰した。ブラジルに世界最大の日系社会ができる、その第一歩を演出した人物の顕彰。その夜は他の行事もあったとはいえ、会場に日系団体会長の姿はまばらだった。 到着時にコーヒー収穫期が過ぎていたこと、配耕後の夜逃げ、移民との金銭問題など、多くの問題 ...
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大耳小耳
ニッケイ新聞 2010年6月22日付け パラナの開拓先亡者慰霊碑のすぐ横の、移民資料館を訪れ、開拓当初の物品など豊富な展示物を見た。特に印象が強かったのはコーヒー収穫で使ったペネイラ(ふるい)。実際手に持ち振ってみたら、想像していたより大きく、重たかった。また資料館の近くに再現された開拓当初の移民の家では、トウモロコシの皮でで ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2010年6月9日付け 百年史編纂を手伝わせてもらって痛感するのは、年表や移民史に出てくるような事件や記念行事はけっこう詳細に分かったりするが、移民一般の生活の歴史が分からないことだ。生活様式が和風からどのように洋式(伯式)に変化していったのかを追うのはかなり難しい。例えば戦前移民はいつから洋式のパンツをはくよう ...
続きを読む »セラードの今を歩く=家の光編集部・佐藤哲也=(3)=投資型農業、農協も立ち上げ
ニッケイ新聞 2010年5月29日付け ウナイはもともと、降水量の多い地域ではない。セラードには、年間1800ミリを超える地域から、ほとんど降らない地域までさまざまだ。降っても、雨季に集中し、乾季にはまったく降らないという地域もある) そこで、降水量の少ない地域に導入されているのが灌漑設備の「ピヴォ・セントラル(中央灌水)」 ...
続きを読む »セラードの今を歩く=家の光編集部・佐藤哲也=(2)=ミナス・ウナイの農協を訪問
ニッケイ新聞 2010年5月28日付け セラード農業開発では、1~3次にわたる試験的事業を経て、本格的な入植が始まった。まず、1次試験地として入植が始まったのがブラジル南東部にあるミナス・ジェライス州だ。そのミナス・ジェライス州のウナイ市にあるコアノール農協を訪ねた。 ウナイは首都ブラジリアから南東に約200kmにある街。ま ...
続きを読む »コラム オーリャ!
ニッケイ新聞 2010年5月7日付け ブラジルの国政の中枢に初の日系人、柳井ジョルジ氏が入った。 「末っ子でおとなしかったのに」と喜ぶ母・綾子さん(87.広島)は、クリチバで健在だ。 1932年に「らぷらた丸」で来伯。北パラナのコーヒー農園に入植。 高拓生だった柳井正至氏と結婚、同州バンデイランテス市で4人の子供をもうけ ...
続きを読む »追悼 西村俊治氏
ニッケイ新聞 2010年5月6日付け ジャクト農機創立者の西村俊治氏が4月23日、サンパウロ州ポンペイア市で死去した。99歳。コーヒー自動収穫機の開発をはじめとするブラジル農業界への貢献、農工学校を通じた後継者の育成、地域教育への尽力など、同氏の功績を偲び、関係者から寄せられた追悼文を掲載する。(編集部)
続きを読む »巨星墜つ=ポンペイア市 須賀得司
ニッケイ新聞 2010年5月6日付け 氏は4月23日、路ひとすじに生き抜いた99歳の輝かしい生涯を閉じ昇天されました。 1910年京都の宇治市に生れ21歳の時、独りで力行会移民としてブラジルに来られ人並みに新移民の苦労をされた。 1939年当時鉄道の終点であったポンペイア市に降り立ち、「何でも直します」の小さな修理屋から始 ...
続きを読む »西村俊治氏=ブラジル農業発展に貢献
ニッケイ新聞 2010年4月27日付け ジャクト農機創業者の西村俊治氏が23日午後6時、サンパウロ州ポンペイア市のサンタカーザ病院で老衰のため死去した。99歳。約20日間、同病院に入院していた。24日午後3時から西村俊治技術財団で葬儀・告別式が営まれ、同日午後5時、ポンペイア墓地に埋葬された。 京都府宇治市出身。日本力行会を ...
続きを読む »第3回日伯貿易投資促進委員会=ブラジリア=貿易・投資の課題を議論=ブラジルの制度改善要望も
ニッケイ新聞 2010年4月20日付け 第3回目となる日伯貿易投資促進合同委員会が15、16の2日間、ブラジリアで開発され、日伯の政府、民間企業関係者が両国の貿易・投資に関わる課題や協力関係などについて意見を交わした。 同委員会は08年の甘利明経済産業大臣(当時)来伯を機に設置され、昨年2月にブラジリア、9月に東京で開催。貿 ...
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