沖縄県公式HPの「海外沖縄県人会名簿」によると、その数は88団体に上り、欧州、オセアニア、アフリカにまで及んでいる。移住者の多かった北米では子弟たちが中心となり、なんと53団体が結成されている。興味深いことにブラジルは名簿上、県人会本部とカンポ・グランデ支部の2団体のみ。北米はバラバラに活動しているので登録数が多く、ブラジル ...
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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(9)
しかし、言葉もうまくできないし、事情もつかめず、商売のやり方もままならず、結局やめて別の食品店に転業した。それもうまくいかず途方にくれているうちに、やはり自分は自分の「ティージェーク」で身を立てるしかない、ということで看板屋をはじめることにした。 こうしてビラ・カロンのアベニーダに開店した。開店まもない頃、カンポ・グランデから ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(8)
私は、このお金を上間耕地に残したままの7家族を呼び寄せるための資金にした。本当にありがたい尊い救いのお金であった。 この7家族の仕事口を比嘉真繁さん、石川盛得さんらカンポ・グランデ沖縄県人会の幹部であった方々が、あっちこっちのファゼンダに当たって借地農の仕事を見つけて下さった。比嘉さん、石川さん達の恩愛の情、そのチムグクル、志 ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(7)
この耕地は、まだ未整地だったが、土地は大変肥沃だった。若い連中は共同で住家を作り、山羊小屋作りにせいをだした。年寄りたちは荒地を耕し米を植え付けた。稲はたちまち育ち豊作であった。 ところが、収穫直前になって40年ぶりといわれる大雨に襲われてしまった。この土地は盆地のように低い土地だったので、一挙に水害にみまわれ、滝から水が襲い ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(5)
他の家族の人々もこれに感染した。カッペンは、最初から医療施設もなく、無論医者は一人もいない。手の施しようも無く、日本から持参してきた少量のマラリア薬とか、熱さましなどを服用させ、その場しのぎの有様であった。 数日がたって、若い18歳の又吉青年が危篤に瀕した。高熱と震えがとまらない。500キロもあるクィアバー市に、オンボロトラッ ...
続きを読む »日本では食べられない!=すき家がラーメンを開始
大手牛丼チェーン店の「すき家」が、先月からラーメンの取り扱いを始めた。1杯13レからという低価格を実現。11月末までにサンパウロ市の全店舗で提供する予定だ。日本のメニューには無い商品で、話題を呼んでいる。 すき家を展開するゼンショー社グループにラーメンチェーンがあり、そこからノウハウを得て実現した。麺は配合や太さを指定しブラジ ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(3)
振り返ってみて、自分達が夢にまで見た入植地カッペンが、こんなにも難関で遠隔の地とは思いもよらなかった。 地図で見るブラジル大陸と、今辿ってきた現実の道程、その差はこれほどまでに予想に反するものかと、ブラジルの大陸の広大さを改めて実感せずにはおれなかった。幻の理想郷―地獄谷の苦しみ 入植地までの道程は、まだ程遠くあり、これから更 ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(1)
出発 私のブラジル移住は、沖縄出発の時から平穏ではなかったように思う。 先ず、神戸の移民斡旋所で出国手続きや移住者への講習を受けるために船倉荷物を那覇港に残して私達は、手荷物のみを持ってチチャレンカ号に乗り込み那覇港を出発した。 ところが、出発してから数時間の航行中に暴風に巻き込まれ、奄美大島の名瀬港に寄港を余儀なくされた。神戸 ...
続きを読む »ラーモス移住地=さくら祭りに3500人=50周年記念史『絆』発刊=日本茶を新産業に検討中
サンタカタリーナ州フレイ・ロジェリオ市のラーモス移住地のさくら公園で5、6日、同文化協会(尾中弘孝会長)が『第18回日本祭り』を開催した。同市人口2500人を大きく上回る3500人が来場し、アトラクションや日本食を楽しんだ。初日の開会式ではオズニー・アルベルトン市長、在クリチバ総領事館の森田聡領事らが出席し、50周年記念誌『絆 ...
続きを読む »物価は既に6・83%上昇=7カ月で目標上限超える
ブラジル地理統計院(IBGE)が7日、1~7月の拡大消費者物価指数(IPCA)は6・83%上昇し、年間目標の上限値(6・5%)を超えたと発表したと8日付伯字紙が報じた。 7月は例年、物価上昇が比較的穏やかで、過去10年間の平均は0・50%だが、今年は6月の0・79%こそ下回ったものの、食品価格が0・65%、居住費が1・52%、 ...
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