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ヴィルジニア・ラネ死去=歌と踊りで一世を風靡=晩年のヴァルガスも魅了

ニッケイ新聞 2014年2月12日 1940~50年代に一世を風靡したダンサー、女優のヴィルジニア・ラネが10日、リオの病院で死去した。93歳だった。11日付伯字紙が報じている。 1920年にリオで生まれたヴィルジニアは劇場でのレビューのダンスに魅せられ15歳の頃からステージに立っていた。10代の頃には、後のブラジル発でハリウッ ...

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シコ・ブアルキが生誕70周年=記念ミュージカルが開幕

ニッケイ新聞 2014年1月9日  ブラジルの音楽史上、最も重要なシンガーソングライターのひとりに数えられるシコ・ブアルキが今年で生誕70周年を迎える。シコの誕生日自体は7月だが、祝福ムードは年明けからすでにはじまっている。  そのひとつは、今月18日にサンパウロのテアトロ・ルネサンスで行なわれ、シコの楽曲を女性歌手たちが歌う「 ...

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百周年でさらに信用得た=モジ=日本人気質の安部順二市長=任期振り返り「非常に満足」=教育、医療、雇用に尽力

ニッケイ新聞 2008年11月20日付け  市長を務めた八年間は非常に満足だった――。今年の年末で二期八年間の任期を終えるモジ・ダス・クルーゼスの安部順二市長(67、二世)は、ニッケイ新聞の取材に対して自身の任期を振り返り、冒頭のように語った。日本人気質を押し出しながら、教育と医療関係を中心に尽力、さらに今年は百周年を記念して様 ...

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「YS11」日本でも引退へ=ブラジルではVASPが採用していた=印象的だった移民の人情=69年当時取材した久保=西日本新聞=記者

2006年4月8日(土)  さらば、YS─11。日本が戦後初めて開発した、国産旅客機が四十年余りの役割を終え、今年九月いっぱいで完全に就航を止めることになった。ブラジルでは〃サムライ〃の愛称で親しまれ、かつてサンパウロとリオデジャネイロを結んでいた時代がある。〃雄姿〃を知る人には、懐かしい機体だ。ブラジルで活躍した約二十機のうち ...

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カラオケ日本語学習=キャラバンinブラジル=集客、8都市で1800人=手応え感じた基金センター=26日、サンパウロ市で全伯イベント

2006年3月23日(木)  【既報関連】国際交流基金サンパウロ日本文化センターは十三日午後三時から、サンパウロ市パライーゾ区の同センターで、「カラオケ日本語学習・キャラバンinブラジル」の中間報告などを行った。歌を使って日本語を学ぶ楽しさを実感してもらおうと、初めて企画されたもの。サンパウロを皮切りに、ブラジリア、ポルトアレグ ...

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老中棋戦に優勝して=吉田さん、めでたく六段

2006年2月28日(火)  第三十五回老中棋戦大会(ブラジル将棋連盟主催)が二十六日、サンパウロ市リベルダーデ区の将棋連盟会館であり、約六十人が参加した。同大会は昨年、駒落ちから平手打ちにルールを変更し、昇段可能になった。吉田国夫さん(67)が五段以上の老中棋戦で優勝し、ブラジルで四人目の六段に昇格した。  この日はカルナヴァ ...

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カルナヴァル=円光寺で座禅中!

2006年2月28日(火)  イタペセリカ・ダ・セーラの円光寺で、カルナヴァル期間中、座禅が行われている。町の喧騒から離れて、山中の寺で瞑想しようと寺が竣工(二〇〇一年)する前から企画されているもの。二十五日からきょうまで。住職の大畑天昇さんは「緑豊かな環境の中で、自分を見つめ直す機会になれば」と話している。住所は、イタペセリカ ...

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コラム オーリャ!

 カルナヴァルのパレードを「裸踊り」と日系二世が揶揄するのを聞いたことがあるが、概して日系人はサンバやカルナヴァルを嫌うひとが多く、不得手ともされているようだ。  先日、エスコーラ・デ・サンバの見学ツアーに同行取材。最後に訪れたエスコーラのエンサイオ。ツアー参加者も大いに汗を流して楽しんだ。  いつでもそうだが、奥様方のノリはい ...

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サンバ=エスコーラ巡り好評=本番直前の熱気を体感

2006年2月23日(木)  移民百周年に向けた「ジャポネスもサンバ」プロジェクトの一つ、「エスコーラ巡り」が十九日実施され、駐在員夫人を中心とした約四十人が生のサンバの熱気を味わった。今回で三回目。ブンバ出版とブルー・ツリー・ホテルの共催。サンパウロ市観光局の協力。  今回、一行が訪れたのは、「ローザス・デ・オウロ」「ウニード ...

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大耳小耳

2006年2月22日(水)  援協巡回診療班がこのほど、バストス方面を回ってきた。今回は雨天にやられた。舗装されておらず、ぬかるんだ道を走った。それでも会場には多くの受診者が訪れ、日系人医師の日本語による診察を心待ちにしていたそうだ。巡回班は医師の不足や予算の減額に悩んでいる。戦前の旧同仁会から続くこの事業、できることなら切りた ...

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