特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け コチア青年移住55周年及び花嫁移民51周年記念日を迎えるにあたって所感を述べてみたいと思います。 コチア産業組合の下元専務の構想によって、ブラジルにおいては日本人農業者の後継者の養成、日本においては農村の次男、三男対策と言う目的で計画 ...
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我が移住人生意義あり=山下治さん
特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け ある日の新聞記事が私の人生を決めたといえる。 それは「行け南米の宝庫へ」と、若者に海外雄飛を呼びかけたものであった。青春の血が躍動し、早速県庁に担当者を訪ねた。21歳の秋である。 担当の方は南米移住の前に北米はどうか、と進めて下さ ...
続きを読む »コチアの思い出あれこれ=伊勢脇英世さん
特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け コチア産業組合の井上清一総務部長は、第2次世界大戦後はサンパウロ州の奥地、プレジデンテ・プルデンテ等でも倉庫主任をされたようです。 その頃は、産青連運動を強力に推し進め、農村青年の指導に力を入れていました。 それが本部勤めになった ...
続きを読む »第一回大会の思い出=瀬尾正弘さん
特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け 月日のたつのは早いもので、あれから48年の歳月が流れた。コチア青年移民が始まってより7年目の1962年8月15日、第一回コチア青年移民大会が開催された。会場はコチア産業組合ジャタック事業所の大食堂を使用させてもらった。 大会への参加者 ...
続きを読む »世界一住み良い国ブラジル=樋口四郎
特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け 50数年前の今頃、悪がきの「青二才」の青年は、ろくな物も食べられず、しかし常に将来の希望に満ちた夢を胸に描きつつその実、先の見通しは今一つ見えない虚脱感にぼんやりしていた。 そんなある日、農業組合から手紙が届いた。受け取り人は兄になっ ...
続きを読む »花嫁稼業51年目=黒木美佐子さん
特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け コチア青年移住55周年、花嫁51周年の式典行事もめでたく終える事が出来ました。会場一杯のコチア青年、その妻・子・孫たち、そしてそれを祝って下さる多くのご来賓、友人の皆々様のお陰でした。勿論、この式典を挙行するまでには、コチア青年連絡協議会 ...
続きを読む »コチア青年移住55周年祝う=花嫁移住51周年もあわせ=約600人が節目祝う=飯星下議「二世として誇り」
特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け コチア青年連絡協議会(新留静会長)は、9月19日午前9時から、サンロッケ市の国士舘スポーツ・センターで、「コチア青年移住55周年並びに花嫁移住51周年記念祭典」を開催した。大部一秋在サンパウロ総領事御夫妻をはじめ、日系諸団体の代表、コチア ...
続きを読む »ブラジル来てはや43年=杓田美代子
特集 コチア青年移住55周年・花嫁移住51周年 ニッケイ新聞 2010年10月23日付け 1967年10月14日に、ぶらじる丸で45日の航海を終えて、サントスに着いた。 埠頭には初めて会う義兄と実姉が出迎えてくれた。姉が自分の航海の時のことを思い合わせて、お饅頭を持って来てくれて、岸壁から投げてくれたのだが、残念、海に落ち ...
続きを読む »あっという間の半世紀=55年9月のあめりか丸=初の同船会に70人集う=養蚕移民、最初のコチア青年も
日系社会ニュース ニッケイ新聞 2010年10月7日付け 1955年9月15日サントス着港の移民船「あめりか丸」の同船者会が9月18日、リベルダーデのレストラン泰山で開かれた。家族移民36家族と第一回のコチア青年109人など約350人を乗せた同船。集いが開かれるのは渡伯55年で初めてのことだ。当日は各地から約70人が訪れ、なつ ...
続きを読む »大耳小耳
ニッケイ新聞 2010年10月7日付け 一次一回のコチア青年が乗った移民船あめりか丸。同船で移住した北原民江さんは当時12歳。船の中では勉強の時間があり、青年たちも子供たちを教えていたという。「いい先生でしたよ」と北原さん。一方で「うちは女ばかりだったから。父親が神経を使ったらしいですよ」とも。百人からの独身青年がいたことで、 ...
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