ニッケイ新聞 2008年1月16日付け 五十年の歩みを振り返ろう――。日本人移民五十周年にあたる一九五八年にサントス港へ到着した人たちの「移住五十周年の集い」(野村愛国世話人)が十三日、リベルダーデの宮城県人会館の屋上で開かれ、該当者やその家族など約百二十人が集まり、旧交を温めあった。移民船ごとの同船者会はたびたび開催されてい ...
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コラム 樹海
ニッケイ新聞 2008年1月10日付け 年明け早々、地元日系団体らが中心になって検討していた国士舘スポーツセンターの運営権を文協から受託する件に関して、白紙に戻すのみならず、批判的な内容の絶縁状ともいえる文章が評議員全員に郵送された▼これは時間をかけて交渉すれば、まとまる可能性のあった案件を、自ら断ち切るに等しい行為にもみえる ...
続きを読む »コチアは生きていた=30年ぶりのセラード「赤木報告」(5)=パルナイバ上流農畜産組合の建物=〃昔の泥臭さ〃が消えた=名前を変えたコチア組合
ニッケイ新聞 2007年12月20日付け サン・ゴタルドの町外れに、パルナイバ上流農畜産組合が、地域農業隆盛の象徴のように、設備を拡張している。この組合は、コチア産組中央会の崩壊により、サン・ゴタルド支部が、名称を変えて独立したもので、組合精神も内容もコチアそのものである。ただ昔のコチアと異なるのは、組合本部の美しさである。植 ...
続きを読む »国士舘経営は誰の手に?=文協評議員会=検討委設立、決議は来年に=強硬な進行に不満の声も=情熱失う地元関係者ら
ニッケイ新聞 2007年12月11日付け 「今日決議されなければもうやらない」「前向きに検討、委員会の設立を」――。サンロッケ市にある文協国士舘スポーツセンターの経営権をコチア青年連絡協議会や地元文協で構成される管理運営準備委員会(白旗信委員長)に委譲する問題について、八日午前の文協評議員会で議論が白熱した。あくまで当日の決議 ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2007年12月5日付け 渡航してきたコチア青年ざっと二千五百人。移民の多くが、さまざま紆余曲折を経て、今があるが、コチア青年たちも「語れば長い」ブラジル生活をした人が多い▼最近、すでに物故した一人の青年(生存していたら八十歳近い)の「死亡時の状況」を明らかにするのに手を貸してくれ、と頼まれた。残念だが余り役に立 ...
続きを読む »1958年に移住した人=渡伯50周年で集まろう=1月
ニッケイ新聞 2007年12月1日付け 一九五八年にサントス港へ到着した人たちの移住五十周年の集いが、来年一月十三日午前十一時から、リベルダーデの宮城県人会館(R.Fagundes,152)で開かれる。移民船ごとの同船者会はたびたび開催されているが、年間を通した移住者の集いが開かれるのは、おそらく初めてのこと。世話人代表の野村 ...
続きを読む »日語校、コチアと歩んで75年=ヴァルゼン・グランデ=聖南西最古の日系団体=2百人集い節目を祝う
ニッケイ新聞 2007年11月28日付け ヴァルゼン・グランデ文化体育協会(田村忠男会長)の創立七十五周年式典が二十五日、ヴァルゼン・グランデ・パウリスタ市の同会館で開かれた。子弟教育への情熱の下、聖南西地区で最も早く発足した同文協。旧コチア産業組合中央会とも深い関わりを持ちながら、同会解散後の困難を乗り越え、今日まで絶えるこ ...
続きを読む »ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《最終回》=下元死して志受け継がれる=一生を捧げた多くの職員
プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け 遠藤さんの話。 「三日間のモイーニョ・ヴェーリョ通いの帰途、いつも親父は疲れているみたいだった。ふと気がつくと、隣にかけている親父が私の方へ寄りかかって来る。見ると居眠りしていた。三日目が終わった翌日、親父は死んだ。 阿部さんは広報の仕事をしていた。当時、コチアは広報のためラジ ...
続きを読む »ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第21回》=畑で作る組合員との関係=本心ではバタタよりカフェ
プレ百周年特別企画 2007年10月25日付け 下元を成功させた要因には、もう一つ、よく言われるような「運」があった。無論、その運の中には、死に物狂いで働き引き寄せた部分もあったであろう。 しかし、その運も去るときが近づいていた。働きすぎた結果、健康を害したのである。 一九五七年、日本から着いたコチア青年移民でカストロ在住 ...
続きを読む »ブラジル農業界への日系貢献のシンボル=コチア産組=新社会の建設=創設者の光と影=下元健吉没後50周年=連載《第20回》=一番下の運転手から聞く=誰より詳しい各地の情報
プレ百周年特別企画 2007年10月24日付け 元職員・遠藤健吉さんの話の続き。 「兄の案内で、私はコチアの本部へ行き、下元と会った。挨拶したが、専務理事というようなイメージではなく(イモ親父だな)と思った。それからしばらくして、コチアの農村青年男女講習会があると知ったので参加してみた。そこで親父の〃組合節〃つまりコペラチズ ...
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