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コチア青年 関連記事

コチア青年謝恩旅行=5月に南バイーアへ

2006年4月12日(水)  「コチア青年五十周年謝恩旅行」が五月二十五日から三十一日まで実施される。同連絡協議会(高橋一水会長)が主催。コチア青年が多数活躍する南バイーアのテイシェイラ・デ・フレイタス地方を訪れるほか、ヴィトリア、ポルト・セグーロ、ブージオ地方などで観光する。  費用は参加人数により変動。五回までの分割払いも可 ...

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移住花嫁の母=小南ミヨ子の生涯=連載(上)=370人送り出し大往生=女子研修センターと共に=「大きな影響与えた」

2006年4月1日(土)  私財を投じて「国際女子研修センター」を設立、南米移民の青年に日本の花嫁を紹介すること三十余年――小南ミヨ子さん(享年96歳)は、移住者に捧げた半生を送った。送り出した数は約三百七十人にもなるという。その四十九日追悼法要が三月二十五日午前、サンパウロ市の仏心寺でもしめやかに執り行われ、ブラジルききょう会 ...

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家の光=57カ国の子供に触れる=文協で世界こども図画展

2006年4月1日(土)  世界中から毎年約四万点以上の作品が応募される「世界こども図画コンテスト」(社団法人・家の光協会主催)の〇四年度受賞作品展示会が四月七日から十三日まで、ブラジル日本文化協会貴賓室で開かれる。日本国外で受賞作品展が開かれるのは今回が初めて。五十七カ国の子供が描いた作品八十一点が展示されるほか、平日にはワー ...

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芦川博幸氏

2006年3月30日(木)  芦川博幸(あしかわ・ひろゆき)=コチア青年連絡協議会元会長。二十九日午前六時ごろ、カンピーナス市内の病院で死去。享年七十二歳。  静岡県出身。一九五七年、コチア青年一次七回として「ぶらじる丸」で渡伯。インダイアツーバ地方で大規模なトマト栽培を手がけた。その後、コチア産組のセラード開発事業に参加してミ ...

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山本賞応募を受け付け=締め切りは6月30日

2006年3月30日(木)  山本喜誉司賞選考委員会(杓田美代子委員長)は〇六年度の応募要項をまとめた。  選考委員会は、ブラジル日本文化協会、JATAK、農拓協、農業研究者協会(ABETA)、南伯グランデサンパウロ産業組合、コチア青年連絡協議会、ADESC、モジ文協、東京農大会、サンパウロ蘭協会、元東山農場研修生など各団体に所 ...

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誰が火中の栗を拾うか=県連役員選挙=2シャッパの可能性浮上=反対派の会長候補は4人=話し合いは継続中

2006年3月17日(金)  誰が火中の栗を拾うのか――。昨年の文協会長選挙に続いて、今年は県連でもシャッパ(候補者連記名簿)が複数出される可能性がでてきた。反中沢派は、四人の会長候補を検討しているという。状況はまだまだ流動的で、単一シャッパに向けての話し合いが継続されている状態。明確な立候補は定期総会の開催日が決まるまでずれ込 ...

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「コチア青年の森」リンペーザ=「孫を連れて来て」と案内

2006年3月14日(火)  コチア青年連絡協議会(高橋一水会長)と「コチア青年の森造成育成委員会」(黒木慧委員長)は、二十一日(火)午前八時頃から、サンロッケ国士館コチア青年の森で育樹リンペーザを行う。「コチア青年は孫をつれて参加を」と呼びかけている。  持参用具はなるべくエンシャーダ、ファコン、またはフォイセ。「森」の最後の ...

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大耳小耳

2006年3月14日(火)  十日に開かれた交流協会感謝の集いでは、立食会場の壁に、「日伯交流協会二十五年のあゆみ」として歴代研修生の写真や文章などが飾られていた。記者が数年前に机を並べた同僚の写真もあり、懐かしさを感じた。数年前ですらこうなのだから、初期から関わってきた人にとっては色々な感慨があるだろう。二十五期の研修生は十三 ...

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温か、コチア青年親睦会=ブラジリアで賑わう

2006年3月8日(水)  【ブラジリア支局】恒例のブラジリア地区コチア青年親睦会が二月二十五日、インクラ地区レストラン「ランショ・パラナ」で行われた。  冒頭、今井真治会長から、昨年のコチア青年移住五十年祭への参加が成功裡に終了できた事などの報告があり、続いて荒木さんから会計報告が行われた。  欠席にもかかわらず庄司タダオさん ...

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25年=交流協会生=コロニアと共に=歴史編1=連載(1)=日伯の架け橋になる若者達を=斎藤、玉井氏ら構想「巨木に育てよう」

2006年2月17日(金)  日伯の将来は両国若者の未来にかかっている―。日伯百年の計には「人を植え」架け橋的人材を育成する、との理想をかかげ、日本ブラジル交流協会は一九八一年から現在まで七百四十八人もの日本の若者をブラジルの大地に植え続けてきた。現在、OBは「ブラジルでの一年間」を模索しながらブラジル、日本はもちろん、世界で活 ...

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