サンパウロ市で今年一番の降水量を記録した8日、サンパウロ州ソロカバ地方のサウト市では、強い雨でチエテ川が増水し、川の表面に浮かんでいた泡が市内の道路に溢れ出したため、幹線道路の封鎖まで起きた。 チエテ川下流にあるサンターナやパルナイバ、サウト、ピラポーラ・ド・ボン・ジェススといった市では、川の水量が低下する時期、川に流れ込んだ ...
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レヴィ財務相=所得税増税の可能性示唆=「諸外国より低い」と強調=ジウマも「苦い薬」実行へ=テメルはまたも強硬に反対
ブラジル政府が来年度予算での赤字解消策として所得税の引き上げを検討している旨を、ジョアキン・レヴィ財務相は8日に発表したが、増税への動きに対し、ミシェル・テメル副大統領(民主運動党・PMDB)が「増税は最後の手段」として強く反対している。9日付伯字紙が報じている。 連邦政府が8月31日に305億レアルの赤字予算案を提出後、ジウ ...
続きを読む »シリア難民ブラジルにも (上)=家財を処分、体一つで逃避行=ブラジルは受け入れ優等生国?
いまや400万人ともいわれるシリア難民が陸続きの欧州を目指して大移動をしている最中、南米・ブラジルに難を逃れた人々もいる。 6日付エスタード紙によると、過去2年でブラジルが発行したシリア難民へのビザ発行数は2077件で、陸続きのためにずっと多くの難民が流れこんでいる南欧諸国の発行数より多い。同紙によれば、南欧諸国のビザ発行数は ...
続きを読む »セレソン=真剣勝負へ待ったなし=親善試合だけなら12連勝
10月から開幕する2018年ロシアW杯南米地区予選を目前に控え、サッカーブラジル代表〃セレソン〃が、5、8の両日に米国で親善試合を行ったと、6、9日付伯字紙が報じた。 ブラジルセレソンは5日にニュージャージーで行われたコスタリカ戦を1―0、8日にボストンで行われた米国戦を4―1と2連勝で飾った。 今回の米国遠征は、6月にチリで ...
続きを読む »東城選手 夢のゴールに挑戦=全国1部でデビュー目前=(上)=練習試合で3得点の活躍
ブラジル南部サンタカタリーナ州(SC州)州都のフロリアノーポリスに本拠を置く、サッカー全国選手権1部「アヴァイーFC」に一人の日本人FW(アタカンチ)がいる。日本でのプロ経験のない東城利哉(22、東京)だ。プロサッカー選手になる夢を持って4年前、ブラジルに単身飛び込んだ若者の経験と意気込みを聞いてみた。(敬称略、井戸規光生記者 ...
続きを読む »「万有引力」待望の再公演=寺山修司の幻想的舞台を
戦後日本を代表する劇作家の一人、寺山修司の遺志を引き継ぎ活動する劇団「演劇実験室◎万有引力」(東京)が11月、ブラジル3都市で20年ぶり2度目の来伯公演を行なう。日伯120周年記念事業で、文化庁が助成した。当地初公開される演目『奴婢訓』(ぬひくん)は、寺山主宰の演劇実験室「天井桟敷」が世界31都市で上演を重ねたロングラン作品だ ...
続きを読む »独立記念日=ジウマが再び過ち認める=パネラッソ避けネットで声明=現状の政策は「苦い薬」=自身の抗議人形も作られる
ジウマ大統領は7日、ブラジリアの省庁前広場で毎年恒例の独立記念日の式典後、インターネット上の動画を通じ、第1期政権(2011~14年)の過ちを認め、国民に再建を約束した。だが、式典の傍らでは国民による抗議運動が冷ややかに行われていた。8日付伯字紙が報じている。 ジウマ大統領が、恒例のテレビやラジオによる宣言を行わず、動画での配 ...
続きを読む »ラーモス移住地=さくら祭りに3500人=50周年記念史『絆』発刊=日本茶を新産業に検討中
サンタカタリーナ州フレイ・ロジェリオ市のラーモス移住地のさくら公園で5、6日、同文化協会(尾中弘孝会長)が『第18回日本祭り』を開催した。同市人口2500人を大きく上回る3500人が来場し、アトラクションや日本食を楽しんだ。初日の開会式ではオズニー・アルベルトン市長、在クリチバ総領事館の森田聡領事らが出席し、50周年記念誌『絆 ...
続きを読む »県連代表者会議=日本祭りへ新体制発足=本橋会長の訪日報告も
ブラジル日本都道府県連合会(本橋幹久会長)の「8月の代表者会議」が、先月27日に文協ビル内の同会会議室で開かれた。 冒頭、前週の20日に開かれた臨時代表者会議にて継続が決まった来年の日本祭りの「準備委員会」の人事が発表された。委員長には前々回より副実行委員長を務めた市川利雄氏(富山)が就任、副委員長には谷口ジョゼ(和歌山)、松 ...
続きを読む »独立記念日=ペドロ1世の隠し子か?=奴隷の息子でミナスの男爵=歴史家マテウス氏が研究
1819年に生まれ、1903年に亡くなったミナス州の農園主、アナクレット・コレイア・デ・ファリア氏は、マリアナ・ファウスチーナ・ジョヴィタと呼ばれる奴隷の息子として生まれた後、1864~70年のパラグアイ戦争に参加して功績を挙げ、男爵の称号を授かった。だが、8月23日付フォーリャ紙サイトなどによると、歴史家のフラヴィオ・マテウ ...
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