ホーム | 笠戸丸 関連記事 (ページ 100)

笠戸丸 関連記事

♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(6)=少年時代のルーラも勤務

2005年8月10日(水)  一九五八年、移民五十年祭で企画されたコロニア実体調査は、洗濯屋抜きには語れないものだった。  「日本移民史上空前絶後の大調査」(文協四十年史)といわれる規模のもので、延べ六千人が六年の歳月をかけて全伯の日系人口の把握を行った。中でも最難関と言われていたサンパウロ市内を引き受けたのが、洗染業界だった。 ...

続きを読む »

テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(5)=選挙を左右した組織力?

2005年8月9日(火)  一九四七年は大きな節目だった。  物価調整委員会(COAP)が洗濯代を、従来の一着二十二クルゼイロから十六に下げた状態で凍結した公定料金を決定したからだ。すでに五百軒あると言われた日系洗濯屋にとって死活問題だった。  この危機を打開するために担ぎ上げられたのが、田村幸重(キリスト民主党)だった。四八年 ...

続きを読む »

♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(4)=関連業での成功者も続々

2005年8月6日(土)  集会や日本語の禁止を強いられ、敵性国人や「第五列」(スパイ)として扱われた厳しい戦時中。しかし、後の発展につながる萌芽もこの時代には生れていた。  今でこそサンパウロ市の化粧品卸売り業の最大手と言われる「池崎商会」だが、始まりは一軒のチンツラリアだった。  社長の池崎博文(熊本)は三歳で渡伯し、両親は ...

続きを読む »

♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(3)=臣道聯盟トップも生業に

2005年8月5日(金)  「臣道聯盟の吉川さん、うちにおったのよ。一メートル七十五センチぐらいある大きな男だった。とってもいい男だったよね」。洗濯屋の草分け、山本栄一は懐かしそうに思い出す。  帝国陸軍の退役中佐だった吉川順治は、臣道聯盟の理事長だった。日本の戦勝を喧伝し、敗戦を主張した負け組要人らに暗殺テロを遂行するなど、終 ...

続きを読む »

♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(2)=嚆矢は笠戸丸移民か

2005年8月4日(木)  一九八二年十月、伊藤春野(86)はサンパウロ市の総領事公邸から電話を受け、いつも通りに洗濯物を取りに行った。帰ってから開いてみると、「この服はちょっと違うぞ」と気付いた。  高島屋のオーダーメイドの背広上下と白いワイシャツだった。もしかして――と思って上着の内側を見ると「浩宮徳仁親王」という刺繍が入っ ...

続きを読む »

磐田農高から研修団=同窓先輩らと交流

2005年8月3日(水)  静岡県立磐田農業高校(井田隆夫校長)は、来年の同校創立百十周年を前に、初めての試みとして「ブラジル生徒派遣交流事業」を実施している。第一回研修団は井田校長を団長に生徒二人、同窓生九人、職員一人の計十三人。二十八日着伯、同日午後七時からブラジル静岡県人会(鈴木静馬会長)会館で歓迎会が行われた。九日まで滞 ...

続きを読む »

70年前の自分と再会=吉雄さん=日本祭り写真展示で

2005年7月21日(木)  「あっ、私だ」。吉雄ミユキさん(90、サンパウロ市)は思わず声を上げた。七十年前の自分との再会だった。  十七日まで開催された県連日本祭りの会場。百周年協会のブースに展示された古い写真に若き日の吉雄さんと家族の姿があった。  写真は、戦前の日本移民の開拓風景を紹介した写真の中にあった。笠戸丸のサント ...

続きを読む »

首相揮毫記念碑が除幕=「感動」永遠に刻む=入植43周年に合わせ祝う=グァタパラ

7月12日(火)  入植四十三周年華やかに――。ブラジル随一の〃元気のある移住地〃グァタパラ移住地は十日、入植祭を開催した。昨年九月に同地を訪れた小泉首相を記念して建立された記念碑の除幕式も行い、移住地の歴史に大きな一歩を刻んだ。この喜びの日に合わせて植えられたひまわりの大輪咲きと、これからの発展を象徴するかのように躍動する鯉の ...

続きを読む »

熊本で花開くイッペー=移民の父・上塚周平顕彰会発足=――100年、形だけでなく実のあるものに

7月6日(水)  【東京支社、既報関連】ブラジル日本人移民が渡伯し百周年を迎えるまで、あと三年に迫った六月十八日午後七時半から、熊本県下益城郡城南町(旧杉上村)「火の国総合文化センター」で、ブラジル移民の父である上塚周平顕彰講演会と「イッペイの会」の結成会が開かれた。  上塚周平(一八七六~一九三五年)の生家の庭には、ほかの庭木 ...

続きを読む »

コラム 樹海

[  「移民祭・慰霊祭」の話である。まず、第一回移民船笠戸丸着港日(一九〇八年六月十八日)は、いつごろから「記念日」として在伯日系人の念頭にあったのだろうか▼さきごろ、ロンドリーナ在住の沼田信一さんは、ロンドリーナの場合、おそらく移民二十五周年に当たる三三年だろう、と推察していた▼古い記録をみると、この年四月十一日、北パラナ各地 ...

続きを読む »