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笠戸丸 関連記事

移住坂 神戸と海外移住(6)=収容所と対象的な建物=上流階級の「トア・ホテル」

6月26日(木)  「三ノ宮駅から山ノ手へ向かう赤土の坂道(中略)が丘に突き当たって行き詰まったところに、黄色い無装飾の大きなビルディングが建っている。後ろに赤松の丘を負い、右手は贅沢な尖塔をもったトア・ホテルに続き、(中略)丘の上の是が『国立海外移民収容所』である。」(『蒼氓』石川達三)。  神戸の高台に並んで建つ二つの建物、 ...

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コラム オーリャ!

 南マ州カンポ・グランデ地方に、最初の日本人が住み着いてから、今年で九十年になる。笠戸丸移民とペルーからアンデス越えをして来た人たちが、ノロエステ鉄道の敷設作業に従事、そのまま二十人余が定着したのである。  さきの移民の日、州議会が九人、市議会が十五人の日系人を「発展に尽くした」として表彰した。氏名を見て、九十年という年月の長さ ...

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移住坂 神戸と海外移住(5)=温く受け入れた神戸市民=「移民さん」身近な存在

6月25日(水)  地元の総力を挙げての誘致運動が功を奏した国立神戸移民収容所が、昭和三(一九二八年)三月に開設されたことにより、日本全国から移住者が神戸に集まる仕掛けが出来上がった。  移民収容所は、神戸への集客装置であるとともに、神戸に寄港する移民船に安定的に乗客を提供するという意味でも、神戸の町と神戸港の発展に貢献した施設 ...

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移住坂 神戸と海外移住(4)=国立移民収容所の業務開始で=移民宿の経営深刻に

6月24日(火)  生粋の神戸っ子でも「城ケ口筋(じょうがぐちすじ)はどこにあるか」と聞かれてすぐ答えられる人は少ない。だが、震災前には「かき十」という牡蠣専門料理屋があったあの道、といえばたいていの人は知っている。元町駅から鯉川筋を北へ、山手幹線を越えて急に細くなるあの坂道、今は地図に「城ケ口」の地名は見当たらず、わずかに交番 ...

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移住坂 神戸と海外移住(3)=はしけで笠戸丸に乗船=大きな岸壁なかったので

6月21日(土)  第一回ブラジル移民船・笠戸丸は、契約移住者七百八十一人と、自由移住者、移民会社社長、通訳など計八百二人の乗客を乗せ、明治四十一(一九〇八)年四月二十八日午後五時五十五分神戸を出港した。  沖係りの笠戸丸に出港前日から乗船していた移住者は、ゆれる船内で日本最後の不安な一夜を過ごした。海上で船から船へ乗り移るのは ...

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移住坂 神戸と海外移住(2)=岸壁は涙、涙の家族=万歳絶叫、学友見送る学生達

6月19日(木)  昭和三十年代の神戸港に、「三大見送り風景」といわれる名物風景があった。移民船、捕鯨船団、関西汽船(別府航路)の出港見送り風景である。移民船は月二~三回、捕鯨船団は年約二回、関西汽船は、毎日夕刻、それぞれ盛大な見送りを受けて出港していった。  出港時、埠頭は見送り客であふれ、本船と岸壁の間は五色のテープが舞い飛 ...

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《イビラプエラ公園》=子供らの歌声響く=「日本人の血を誇りに」

6月19日(木)  「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう」「日本人の血を誇りに思います」――。イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑前でブラジル日本都道府県人会連合会が主催した慰霊祭は、昨年に続き日本語教育を受ける児童らが多数参加。来場者の前でコーラスや楽器演奏などを披露し、先人への敬意や祖父母らへの思慕の念を披露した。  午 ...

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移住坂―神戸と海外移住―(1)=履きなれない靴で=収容所(当時)から埠頭へ

6月18日(水)  「神戸から日本移民が出発したという史実を風化させてはならない」――三年ほど前、神戸市で、移民乗船記念碑建設や旧移住センター存続のための、市民運動を活発化させようという運動があった。その一環で『セルポート』紙に「移住坂―神戸と海外移住」が連載された。神戸市、旧移住センター、渡航準備の移民、出港、と現在ブラジルに ...

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コラム 樹海

 きょう六月十八日は、日本移民95周年。第一回笠戸丸移民がブラジルに巨歩を印した日だ。各地で記念ミサに始まって多くの行事が催される。今から四十五年前の移民50年祭には、生存者百五十人を数えたのに、こんにちはパラナの中川トミさん一人になってしまった。時の流れに容赦はない。新陳代謝は続けられる▼ありあんさ史研究家・木村快さん寄稿の『 ...

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「日本移民の日」法定から27年=議案上程した救仁郷さん=「大和魂を死ぬまで持ち続けるつもり」

6月18日(水)  「ブラジル日本移民の日を制定する」ー。PROJETO DE LEI N2870が七六年、国会で成立。移住者の足跡が法定化によってきっちりとブラジル史に刻まれた。議案を持ち込んだのは、救仁郷靖憲元連邦下院議員(二世、七〇)。「私はブラジル生まれだけど、日本人よりも日本人。大和魂を死ぬまで持ち続けるつもり」。同氏 ...

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