ニッケイ新聞 2013年4月3日 モジ・ダス・クルーゼス市日本人移民百周年を記念し2008年4月、モジ・ヅットラ街道をまたぐ形で市の入り口に建立された巨大鳥居が、昨月老朽化を主な理由に同市都市サービス局(SEMSUR)により撤去された。反対の声もあったが、鳥居付近には高圧電線が通っており、修繕したとしても今後の維持は困難と見て ...
続きを読む »笠戸丸 関連記事
大耳小耳
ニッケイ新聞 2013年4月3日 リベルダーデ区のプラッサ・カルロス・ゴメスにあった自家製麺の中華料理店「永和」が移転した。新しい住所は本紙近く(Rua Americo de Campos, 154)。オープン記念として本紙広告を持参すれば、2割引きサービス中だ。今週の広告は2日(火)と5日(金)、来週からは木、土の掲載で一カ ...
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ニッケイ新聞 2013年1月15日付け 昨月落成した「日本百周年記念」事業には、約5年まえからロシア領海から笠戸丸の錨を引き上げ展示する企画も持ち上がっていたが、今回実現には至らなかった。山脇氏によれば「日ロ関係が複雑なので、在ロシア大使館を通して高山ヒデカズ連邦下議(伯日議員連盟会長)が交渉を続けている」とか。目玉企画なだけ ...
続きを読む »新年のご挨拶=駐ブラジル日本国大使 三輪 昭
ニッケイ新聞 2013年1月1日付け 謹んで新年のお慶びを申し上げます。今や世界第6位の経済大国へと成長したブラジルが、益々国際社会からの関心を集め、日伯関係も更なる拡大機運にある中で、皆様に新年のご挨拶を申し上げられることは喜びに堪えません。 駐ブラジル日本国大使として着任して以来早2年以上が経ちましたが、この2年間での日 ...
続きを読む »日伯関係の重層化へ=在サンパウロ日本国総領事 福嶌教輝
ニッケイ新聞 2013年1月1日付け 新年明けましておめでとうございます。 昨年9月に着任して以来様々な会合に出席し、移住地を回らせて頂き、できるだけ多くの方々とお会いし、お話を伺うことを目標にしてまいりました。その中で、サンパウロをはじめとする各地域における日系人の方々の溢れんばかりの力を実感することができました。 本年 ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2012年12月8日付け 水野龍や上塚周平らが音頭を取り、791人もの移民らをブラジルに送った笠戸丸からの100年は多くの秘話もあり、多彩な歴史を物語る。上塚周平は瓢骨の俳号でサントス港に着岸したときに「ブラジルの初夜なる焚火祭かな」と詠み、これがブラシルに渡った日本人移民の初めての俳句とされ、その後—25万人に ...
続きを読む »第15回=砂漠の中の椰子文化圏=往復6千キロ経て帰還
ニッケイ新聞 2012年11月29日付け 「この辺はボクがブラジルに来た54年前のマット・グロッソと同じような感じですね。まるで時間が止まっているようだ。ブラジルの原点だね」。プレギッサ川の艀の近くには掘立小屋のような原住民の家が数軒建っているだけ。その様子を見ながら、一行の平谷勲さん(いさお、68、和歌山)はそう呟いた。19 ...
続きを読む »本紙が選んだ15大ニュース=発刊以来の主要記事や連載
ニッケイ新聞 2012年10月27日付け 来年3月でニッケイ新聞が創刊15周年を迎えるのを記念し、歴代の記者が日夜取材に駆け回り、本紙に掲載した記事の中から、独断と偏見で選んだ15個のトップニュースを、「コロニア15大ニュース」としてお届けする。続々と報じられたこれらニュースから、コロニアにとって前世紀から今日までは〃激動の時 ...
続きを読む »ブラジル文学に登場する日系人像を探る3=ギマランエス・ローザの「CIPANGO」=ノロエステ鉄道の日系人=中田みちよ=第2回
ニッケイ新聞 2012年10月26日付け 移民の多くはマット・グロッソがどこにあり、どんなところかも知らなかったのですが、まずイツー駅に集合して(農園を逃げ出した第一回移民が多い)二手に分かれました。 ①は鹿児島県人などと合流し、サントス港に集まった組で、鉄道建設会社が雇い入れた貨物船にのり、アルゼンチンのラプラタ河からパラ ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2012年10月19日付け この22日は「コンテスタードの乱」勃発から100周年だ。サンタカタリーナ州内陸部を舞台に1912年から4年間、カリスマ僧ジョゼ・マリアを指導者とする反乱軍と連邦政府軍が闘い、1万人以上の死者が出た。同僧が理想としたのは王室復古だったから、体制変革を狙う「革命」ともいえる▼南大河州ではも ...
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