ニッケイ新聞 2011年12月9日付け 8日に120周年の節目を迎えたサンパウロ州の〃顔〃パウリスタ大通り。今年のXマスの飾り付けは例年より豪華な感じだ。真っ赤な厚手の上着を着こんだ巨大なサンタ(人形)があちこちに座り込み——こう言ってはなんだが——見るからに暑苦しそうだ▼夏の南米なんだから水着姿とか、黒いマリア様で有名なアパ ...
続きを読む »笠戸丸 関連記事
コラム 樹海
ニッケイ新聞 2011年12月8日付け 「移民の経験もなく、その時代を知らないのによく書きますね」と言われ、褒められているのか嫌味なのか分からず、苦笑いで頭を掻くことがしばしばある。もちろん取材の証言を支えるのは資料なわけで、この充実さには助けられる。先日も編集部の書棚の整理をしながら、色んな記念誌があるものだ—と感心した▼そ ...
続きを読む »「開拓者の苦労を伝えたい」=ドキュメンタリー『笠戸丸移民100年の証言』=野崎さんに製作への思い聞く=沖縄県人会で15日に上映
ニッケイ新聞 2011年12月7日付け 笠戸丸移民とその子孫の足跡を追ったドキュメンタリー『笠戸丸移民100年の証言』(47分、日本語)がこのほど完成した。制作したのはサンパウロ市にあるFDP記録映画製作所のプロデューサー野崎文男さん(79、東京)とカメラマン兼監督の佐藤嘉一さん(79、大阪)。足かけ7年の制作期間を経て完成し ...
続きを読む »大耳小耳
ニッケイ新聞 2011年12月7日付け 『笠戸丸移民100年の証言』を完成させたFDP記録映画製作所。取材で撮りためた35時間にわたるテープは現在、大阪の佐藤さん宅に保管されている。しかし野崎さんは「完成したものにこそ価値がある」と話し、テープを後世に残す考えはないのだとか。映像製作者としての誇りから出た言葉かもしれないが、移 ...
続きを読む »第7回=120年経て覚醒する子孫意識=初訪沖のNカレドニア勢
ニッケイ新聞 2011年12月6日付け 世界のウチナーンチュ大会の開会式会場には不思議な集団が座っていた。沖縄県系人というよりは、普通の白人の一群だ。 「誰だろう」と疑問を感じて声をかけると、初参加のニューカレドニア(以下NC)沖縄日系人会の一団45人だった。オーストラリア大陸の北東部からさらに1200キロほど東の太平洋に浮 ...
続きを読む »本部より一足早く60周年=熊本県人会ロンドリーナ支部=サンパウロから慶祝団も=婦人部20周年もあわせ
ニッケイ新聞 2011年12月6日付け 熊本県人会ロンドリーナ支部(平川俊六会長、60家族)は同会創立60周年・婦人部発足40周年を祝う記念式典を13日、同市の東本願寺会館で開催した。サンパウロの同会本部(小山田祥男会長)より7年早く結成されている。同州セルタネージャ、マウアー・ダ・セーラなど近郊からも会員が参加したほか、本部 ...
続きを読む »第6回=亜国=終戦5カ月前まで日語報道=最終ニュース「慶良間侵攻」
ニッケイ新聞 2011年12月2日付け 亜国からは今回、最多の200人が参加した。大会取材3回目の『らぷらた報知』編集の崎原朝一さん(77、沖縄)は、「僕自身もう今回が最期かもしれないと思っている。一世はみな、そんな想いがあるから子や孫を連れてきた。だからこんなに人数が増えたんだと思います」と分析する。 最初の移民集団は笠戸 ...
続きを読む »第4回=移民が支えた母県経済=海外送金が県歳入の6割
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け 第1回ハワイ移民団27人をのせて1899(明治32)年12月5日に那覇港を出港した薩摩丸は、1900年1月8日にホノルルに到着した。これを結成したのが〃沖縄移民の父〃當山久三(きゅうぞう)だ。 当時の奈良原繁(しげる)第4代知事(1892—1908年)は薩摩藩出身であり、強権を持って ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2011年11月17日付け 1年を振り返ろうと慌てるのは年末。ときおり振り返ればいいのだが—毎年の師走に恥じるそんなことをふと思い出した。月半ばに心に残った11月の言葉から▼「神様がマンダせんからまだ生きてます」。総領事館公邸であった『百歳表彰伝達式』で久山吉明さん(岡山)。子や孫に囲まれる日々のなかの楽しみは「 ...
続きを読む »ただいま、また帰ってきます!=BEGIN初公演に6千人=笠戸丸移民の三線も爪弾き=世代超えた熱気に包まれ
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け 「初めてのブラジルだけど帰ってきた気分」—。沖縄県石垣島出身の人気バンド「BEGIN」のブラジル初のコンサートが12日午後、サンパウロ市のアニェンビー西展示場で開かれ、パラナ、ブラジリア、カンポグランデ、リオなどブラジル各地から世代を超えた6千人以上のファンが駆けつけた。ブラジル沖縄県 ...
続きを読む »