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笠戸丸 関連記事

コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年6月25日付け  ブラジルの6月は「祭り」が多い。寒い季節なので焚き火が盛んだし、誰が思いついたのか「火風船」と日本語にしたバロンが、夜空をゆったりと流れるのも、水無月の風物詩であり、真っ赤に燃える焚き火を囲みながらピンガを片手に空飛ぶ炎を眺めるのは、この南米の大陸にふさわしく、とても長閑な情景をかもしだ ...

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沖縄県人会=古い三線ありませんか?=沖縄語の聞き取り調査も=調査団が7月にブラジルへ=県系人に広く呼びかけ

ニッケイ新聞 2011年6月23日付け  コロニアに残る三線、沖縄語を記録に残そうと沖縄から調査団が来月来伯するにあたり、ブラジル沖縄県人会(与那嶺真次会長)は今月末まで、三線の鑑定依頼、インタビュー対象となる沖縄語話者を募集している。16日にあった記者会見で与那嶺会長は、「沖縄文化の保存、継承に繋げたい」と広く呼びかけている。 ...

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県連・開拓先亡者慰霊碑法要=園田会長「移民の日は決意の日」=約60人がしめやかに

ニッケイ新聞 2011年6月21日付け  ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)は、移民の日である18日午前10時から、イビラプエラ公園内の開拓先亡者慰霊碑前で『日本移民103周年追悼法要並びに11年東日本大震災物故者追悼及び復興支援法要』を執り行った。約60人が出席した。  法要はブラジル仏教連合会会長の菊池顕正氏が導 ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年6月18日付け  きょう6月18日は「移民の日」—。ここ10数年、年を経るに従いミサや仏式法要は列席者が少しずつ減っていくのは、何とも寂しい。だが、これも致し方ないと諦めざるをえない。今や日系は150万人を超えているが、増えているのは4世や5世が次々に生誕しているからだし、逆比例して一世移民は減る一方なの ...

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ブラジル移住の歴史展=神戸海外移住センターで

ニッケイ新聞 2011年6月15日付け  かつて新天地に向かう日本移民を乗せた移住船が出港した兵庫県神戸市に所在する「海外移住と文化の交流センター」で7月24日まで、「移住の成熟期を支えた人々—知られざるブラジル移住」歴史展が開催されている。パネル37枚と一次資料約60点を展示している。  第一期の「笠戸丸と四人の先駆者たち」に ...

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戦前移民船の写真集刊行=史料館=「懐かしくて物言えない」=全34隻サントス着日も

ニッケイ新聞 2011年6月11日付け  ブラジル日本移民史料館(栗原猛運営委員長)が2月中旬から4月まで企画写真展「戦前移民船展」を開催したが、その内容を一冊の本にまとめてこの度、『ブラジル日本移民に貢献した戦前活躍した移民船』(同史料館刊、日ポ両語、114頁、白黒、30レアル)として出版した。戦前移民船34隻の写真が一堂に会 ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年5月24日付け  昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃からボツダム宣言受諾までの4年は日本にとってもだが、ブラジルやアメリカで暮らしていた日本人移民と子弟たちにとっても、苦しい時代であった。米のような日系人収容所はなかったけれども、笠戸丸移民らも棲み込んでいたコンデ街からの立ち退きやサントス海岸一 ...

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懐旧と復活のモジアナ線=第36回県連移民の故郷巡り=第7回=グァタパラ=悲運の人徳者・弘田監督=拓魂碑前で「故郷」合唱

ニッケイ新聞 2011年4月28日付け  同文協副会長の林良雄さんの労作『我がグァタパラ耕地』(2006年、134頁)によれば、弘田さんは1874年12月生まれ、高知県出身。1910年に第2回移民船旅順丸で渡伯した。1915年に平野運平が建設した平野植民地に賛同して自ら入植するも、その年の暮れには実の姉文野專を同地初のマラリア病 ...

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懐旧と復活のモジアナ線=第36回県連移民の故郷巡り=第6回=移民の原点グァタパラ=「祖父の墓参りしたい」

ニッケイ新聞 2011年4月27日付け  ジャボチカバウ日伯協会の数少ない一世、徳永徳雄さん(77、熊本)は7歳の時、1941年1月15日サントス着のもんてびでお丸で渡伯した。太平洋戦争が開始するその年だ。「日本では食べ物に困った。白飯食べられるのは病人だけ。ブラジルでも食べ物には困ったが、日本よりは全然よかった」とふり返る。サ ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年4月1日付け  ジョゼ・アレンカール元副大統領と日系社会の関係で思い起こされるのは、08年6月22日のパラナ州の移民百周年式典だ。大統領代理として彼が出席し、30分以上の長い祝辞を、原稿を読む形で行った▼7万人もの大聴衆は途中で飽きてしまい、子供は地面に落書を始める始末・・・、あまりに長いので大人もザワザ ...

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