ニッケイ新聞 2011年3月30日付け 一見すると日露戦争とブラジルには何の関係もなさそうだが、実は不思議な繋がりがある。例えばウクライナと日本の関連だ▼ロシアと欧州の境界に位置したウクライナは数々の戦争の舞台になった。不凍港を求めて南下政策を執るロシアは、列強諸国がベルリン条約を締結したことで欧州側での南進が不可能となり、矛 ...
続きを読む »笠戸丸 関連記事
神戸=水野龍と上塚周平=両顕彰会が交流誓う
ニッケイ新聞 2011年3月24日付け 【高知新聞=富尾和方記者】「ブラジル移住の父」と呼ばれる高知県高岡郡佐川町出身の水野龍(1859〜1951年)と、水野の右腕として現地で活躍した熊本県出身の上塚周平(1876〜1935年)の功績をそれぞれ顕彰する本県と熊本県の関係者がこのほど、ブラジル移民発祥の地、神戸で初めて顔を合わせ ...
続きを読む »ロゴマークの応募を!=レジストロ等百周年祭=記念事業の準備着々と
ニッケイ新聞 2011年3月19日付け イグアッペ、レジストロ、セッテ・バラスの3市は、日本移民入植百周年を2年後にひかえて準備を開始した。リベイラ沿岸地域の他の日系団体も間接的にこの百周年祭に参加し、イベントを盛り上げる。現在、同実行委員会では「イグアッペ、レジストロ、セッテ・バラス日本移民百周年」のロゴマークの募集している ...
続きを読む »史料館=「戦前移民船展」を開催=懐かしの船に出会える!
ニッケイ新聞 2011年2月16日付け ブラジル日本移民史料館(栗原猛運営委員長)では15日から3月31日まで、同館8階奥の斉藤廣志特別展示室で「戦前移民船展」を開催している。1908年の笠戸丸から最後の「ぶえのすあいれす丸」までの計34隻に乗って、19万5千人が海を渡った。その写真が一堂に会するのは初めて。 特に航海回数が ...
続きを読む »65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《6》=環太平洋を股にかけ=波乱万丈な父の生涯
ニッケイ新聞 2011年2月12日付け 日高徳一の祖父・末五良(すえごろう)は宮崎県の旧薩摩藩に属す地域の出身で1877(明治10)年に起きた西南の役の時、「〃一蔵(いちぞう、大久保利通の前名)を懲らしめないといかん〃と言って、見たことも声を聞いたこともない西郷どんのために出兵しました。貧乏士族、いや足軽だったと聞いている」と ...
続きを読む »■訃報■藤山節雄氏
ニッケイ新聞 2011年2月9日付け 1998年から南米公演を続ける歌手・井上祐見さんの代表曲「Sou Japonesa」「オブリガーダ笠戸丸」などを作曲した藤山節雄氏が5日午後9時25分、ガンのため日本で亡くなった。61歳。 大阪出身。米ロサンゼルスのGROVE音楽学校で作曲、編曲を学び、帰国後87年にポップス・オーケスト ...
続きを読む »大耳小耳
ニッケイ新聞 2011年2月9日付け 5日に亡くなった作曲家の藤山節雄さんは、「Sou Japonesa」「オブリガーダ笠戸丸」2曲のほか、「根来恋歌」「こころひとつに」など井上祐見さんがブラジル・南米の各地で歌った多くの曲を手がけた。7日の通夜では用意した椅子が足りず、立ったままの人で会場が埋まったという。井上さんの南米公演 ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2011年2月9日付け 藤山節雄さんが5日に亡くなった。歌手の井上祐見が98年から続ける南米公演で歌うあの「Sou Japonesa」「オブリガーダ笠戸丸」の作曲家だ。とくに前者は井上3度目の来伯公演の時に引っさげてきたもので、「私にも流れる大和の心は何を教える(中略)いつも心に抱いている白地に紅く燃える想い」と ...
続きを読む »コラム 樹海
ニッケイ新聞 2011年1月12日付け 10日のルッピ労働大臣の移民史料館訪問を取材しながら、文協には日本からは首相や大臣クラスが続々と立ち寄るが、現役の大物ブラジル人政治家が来ることは極めて稀だと気付いた。唯一の例外の大臣級要人は斉藤準一空軍総司令官か。文協に来たのはもちろん、幾つもの日系団体の式典にも顔を出してくれている。 ...
続きを読む »6位=旅順丸百周年
ニッケイ新聞 2010年12月28日付け 笠戸丸に続く2回目の日本移民船として1910年6月にサントス港へ到着した「旅順丸」。笠戸丸移民の影に隠れがちだが、同船で海を渡った906人も第1回移民と同様、コーヒー耕地から農業、商工業へと苦労の末にそれぞれの人生を刻み、日系社会の礎となった。 渡伯百周年にあたる今年は、県人移住百周 ...
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