ブラジル和歌山県人会(谷口ジョゼー眞一郎会長)は、『和歌山県人ブラジル移住100周年記念式典』を先月29日、サンパウロ州議会にて開催した。母県から仁坂吉伸知事や尾崎太郎議会議長をはじめメキシコ、ペルー、アルゼンチン三ヵ国の同県人会から20人以上の慶祝団を迎えたほか、ゆかりの深い南麻州の松原植民地やドウラードス市などの遠方からも ...
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連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて= (87) = 山城 勇
そのため一極集中的に大都市や工業都市に人口集中を余儀なくされ、地方は過疎化し立ち遅れてしまった。 そこでその地域やそれぞれの地方の活性化を図る目的で全国3,300余の市町村に一率一億円を交付した。 そして自から考え自ら行う特殊事業でもって故郷の活性化・創生をはかること。 同時に海外日系社会においても、同じように2世・3世 ...
続きを読む »ブラジル福島県人会創立100周年=記念式典に知事ら18人来伯=「皆さんは福島県人の誇り」
創立から100年を迎えたブラジル福島県人会(永山八郎会長)が22日、サンパウロ市の北海道協会会館で『ブラジル福島県人会創立100周年記念式典』を開催した。日本から来伯した内堀雅雄知事や杉山純一県議会議長ら18人の慶祝団をはじめ、来賓や県人ら約300人が祝いのために駆けつけた。 ブラジルにおける福島県人の歴史は1 ...
続きを読む »連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=(84) = 山城 勇
金城ウト(沖縄系2世第1号)に聞く1908年(明治41年)6月18日、第1回ブラジル移民、笠戸丸乗船者の沖縄県人の家族構成49家族の中に、宮平牛助(26歳)を家長として、妻カメ(26歳)甥の比嘉善太郎(13歳)、妻の従兄山城武太(27歳)、妻の従弟比嘉松助(18歳)、従弟玉城登嘉(23歳)、仝山城保次郎(19歳)、仝宮城利三郎 ...
続きを読む »連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて = (82)= 山城 勇
サンパウロ到着の際には食べる物も無く金は使い果たし、二人共駅で思案に暮れた。 幸運にも駅の赤帽が気付かって呉れて二人は日本人経営の小さな農園の矢崎節夫さんと云う人に会い、仕事を見付けるまでお世話になった。 二人は仕事探しに毎日出かけた。 そして或る日山戸はアウローラ街の右側、イッパチは左側の通りを尋ねている中に山戸は歯科 ...
続きを読む »わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=(81)=山城 勇
15歳の山戸少年は笠戸丸移民の構成家族の一員として単身ブラジルに乗り込んできた。 山戸はブラジルで5年間働き、沢山のお金を儲けて沖縄に帰国する計画でした。 1908年4月28日、祖父や叔父、従弟たちと感動的な別れを告げ不安の中にも希望に燃えて神戸港を笠戸丸で出発した。 移民者165家族781名 ...
続きを読む »わが移民人生=おしどり来寿を迎えて =(78)=山城 勇
その当時、総領事館職員となり、また報道機関に務めていた翁長助成は、この問題を解決する立役者として多くの共鳴者と共に立ち上がり、球陽協会を結成し、その初代会長となった。 即ち、県人会創立50周年の原点である球陽協会が1926年8月に結成されたのである。 第一回笠戸丸移民以来18年目にあたる。 然もその目的が県人同士の親睦だ ...
続きを読む »わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(77)
5 移住80周年記念誌の編纂 私は、1975年3月以降、在伯沖縄県人会の役員にあてられて1990年まで15年間理事・監査役・副会長・会長として働いてきた。 特に1978年移民70周年記念祭典と会館落成の祝典に際し、記念誌作りの手伝いから毎年の広報(協和誌)作りの専任みたいになってしまった。 幸 ...
続きを読む »わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(75)
こうした先人達の努力のお陰で県人移民の渡航は正常化され、それ以降の、いわゆる昭和初期移民がサントス=ジュキア沿線、カンポ・グランデ、サンパウロ州奥地、そしてパラナ州へと怒涛のように押し寄せたのである。 さらに戦後においては、沖縄戦の戦災救援運動を展開してきた先輩たちが、移民受け入れを大きな目的にして、1953年3月に全伯沖縄 ...
続きを読む »わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(74)
同氏は、「十七八節」にはいくつもの解釈があるが、阿弥陀如来四十八願の十七願・十八願に由来して、人生の臨終に当たっての来迎を待ちわびる悟りの歌、と捉えて開拓先亡者追悼に適している、と推奨したのである。 こうして献楽の儀式に想応しい古典音楽を選定して頂いたのであった。 そこで野村流音楽協会ブラジル支部と同古典音楽保存会ブラジル ...
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