2007年6月15日付け 〃日本移民百年〃を実感することはあまりないのだが、今回は感慨深く思った。 ブラジル日本移民史料館九階で開催されている特別展「笠戸丸以前の渡伯者たち」を取材した。 家族を連れて移住した隈部三郎、「葡和辞典」を編纂した大武和三郎、日系商会、藤崎商会が紹介されている。もちろん日本人としては全て初。 独 ...
続きを読む »笠戸丸 関連記事
サントス第14埠頭から=旧移民収容所まで=『移民百年の道ウォーク』=試し歩き、実現へ着々=歩こう友の会、来年の行事=日本からも同士100人が来る
2007年6月13日付け 自分たちの足で移民の道をたどろう――。リベルダーデ歩こう友の会(高木ラウル会長)は、来年の日本移民百周年記念に、かつて移民が移動したサントスからサンパウロまでの道のりを歩いて巡る『移民百年の道ウォーク』を企画している。二〇〇八年六月十二日から十五日までの四日間をかけて、日本ウォーキング協会の会員ら約百 ...
続きを読む »コロニア神代の時代に光あてる=史料館企画展=「笠戸丸以前の渡伯者たち」=「葡和辞典」大武和三郎の孫が来伯=史料館9階で8月まで
2007年6月13日付け ブラジル日本移民九十九周年の幕開けイベントとなる企画展「笠戸丸以前の渡伯者たち―大武和三郎、藤崎商会、隈部三郎を中心として―」(ブラジル日本移民史料館主催)のイナウグラソンが十一日夜、同史料館九階で開かれ、関係者ら約百五十人が出席した。葡和・和葡辞典の著者である大武和三郎の孫、大武和夫氏が来伯したほか ...
続きを読む »大耳小耳
2007年6月13日付け 十一日に行なわれたブラジル日本移民史料館主催の特別企画展「笠戸丸以前の渡伯者たち」のイナウグラソン。久々の企画展ということもあり、華やかに行なわれた。「文協五十周年史」の刊行記念会でもあったのだが、司会が多少触れただけ。経費節約のため合同で行なったかも知れないが、記念史編纂に携わった関係者に対する配慮 ...
続きを読む »99歳で毎朝GB=「座ってばかりじゃケツ痛い」=江差追分の金田俊夫さん
2007年6月9日付け 「補聴器なし、自分の歯も二十二本ある」とかくしゃくたる様子の金田敏夫さんは、一九〇八年十一月、山口県下関市生まれで、今年九十九歳になる。奇しくも第一回笠戸丸が到着した年だ。サンパウロ州オウリーニョス市在住で、毎朝七時から十時まで同日伯文化体育協会のゲートボール場で練習を欠かさない。 九九年、九十二歳の ...
続きを読む »コーヒー博物館が日本移民を顕彰=サントス=水野龍氏の子・孫も訪れ=特別展「コーヒーと日本移民」=移民百周年を記念して
2007年6月7日付け サントスにあるコーヒー博物館はこの度、日本移民百周年記念事業の一環として『コーヒーとブラジルへの日本移民』の特別展を始めた。一日に同所で展示のお披露目式が行われ同館の関連社や人々約四百人が来場、その内の大半は非日系人だった。式では館長の挨拶、両国の国歌斉唱、来賓紹介、日本移民とコーヒーの歴史について、サ ...
続きを読む »コラム オーリャ!
2007年6月6日付け サントスのコーヒー博物館で日本移民百周年を記念した特別展が始まっている。日本移民とカフェとの関わりを、第一回移民船笠戸丸を中心に写真や当時の生活用具などで紹介したものだ。 足を運んだ日曜午後は、参観者の姿もまばら。周辺の店舗やビルが軒並み閉まっているのだからそれも仕方ない。展示は史料館協力ということも ...
続きを読む »「あしあと」プロジェクト=ボランティアを募集中
2007年6月5日付け ブラジル日本移民百周年記念協会の「移民の歴史記録あしあと委員会」が現在、パソコン入力作業のボランティアを募集している。 「あしあと」プロジェクトは百周年記念事業の一つで、一九〇八年の第一回ブラジル移民船「笠戸丸」からはじまる日本移民名簿のうち、「氏名」「船名」「配耕地」など十数項目をデジタル化するもの ...
続きを読む »笠戸丸の錨を引き上げる=百周年=クリチーバ市の記念公園へ=高山連議がロシア大使と交渉=露伯両海軍に協力要請へ
2007年5月31日付け ロシア領海に沈んでいる笠戸丸の錨(いかり)と舵、鐘を海底から引き上げて、クリチーバに建設される予定の百周年記念公園に設置する計画が、高山ヒデカズ連邦下議(伯日議員連盟会長)らの主導で進んでいることが分かった。一九〇〇年にイギリス船として建造されて以来、ロシア義勇艦隊の兵員輸送船、日本の第一回移民船「笠 ...
続きを読む »大耳小耳
2007年5月31日付け よくカラオケで歌われている「海猫が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖のヤン衆がさわぐ」で始まる『石狩挽歌』(作詞=なかにし礼/作曲=浜圭介)の一節には「今じゃ浜辺で オンボロロ・オンボロボロロ~沖を通るは〃笠戸丸〃」という歌詞がある。日本においては移民船というよりは、蟹工船としての方が有名のようだ。それ ...
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