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笠戸丸 関連記事

運動大好き=故中川トミさんの娘=鈴木清美さん=10歳から実績=メダル700個余=陸上競技シニアで励む=「コレステロール下げます」

2007年2月9日付け  ロンドリーナに在住の鈴木清美さん(60、二世)は、南米大会で十二個のメダルを獲得しているアスリート(陸上競技選手)だ。十歳のときにコロニアでの大会へ出たのを皮切りにしてその才能を伸ばし、槍投げの選手として、ブラジル代表で世界大会に出場。現在でも、シニア部門で槍投げ、砲丸投げ、円盤投げに勤しんでいる。   ...

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ローランジャを観光名所に=パラナ総会=〝夢〟文化パーク構想を発表=連邦から1千万レを調達

2007年1月31日付け  【既報関連】二十八日に行われたパラナ日伯連合会(西森弘志ルイス会長)の定期総会で、コーディネーターの安立ルイス・カルロス氏から〃夢〃文化パーク構想が映像を使って紹介された。  これはローランジャ市の移民資料館のある土地に、建築総面積が五万四千平米もある巨大な三つの常設パビリオンを建設する構想だ。そこで ...

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新会館建設など4事業=沖縄県人会=100周年に向け動く=記念行事の責任者配置=母県に資金援助要請へ

2007年1月30日付け  ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)は、県人会独自となる百周年実行委員会の準備会議を十九日、サンパウロ市の同会会館で開いた。役員ら約二十五人が参加。会議では、新会館の建設などの四つの記念事業や、十にわたる記念行事の責任者が決められた。昨年、創立八十周年を迎え、盛大に式典を開いた同県人会。節目の年に向けて ...

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移民史に新たな一ページ=サンパウロ州新報=香山六郎の写真百枚超=娘のジェニーさんが史料館に=平野運平の直筆葉書も

2007年1月17日付け  第一回ブラジル移民船笠戸丸で渡伯し、戦前に邦字紙「サンパウロ州新報」社主をつとめた故・香山六郎氏(一九七六年没)が所蔵していた写真がこのほど、家族からブラジル日本移民史料館に寄贈された。寄贈されたのは戦前から戦後にかけて撮影された写真約百十枚。中には笠戸丸移民の通訳としてサンパウロ州グアタパラ耕地に入 ...

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今年は10県人会が節目の年=5県から知事来伯か=百周年への〝繰越し〟も

2007年1月12日付け  今年は十県人会――。毎年おなじみの、在伯都道府県人会の周年事業。今年は十県人会が節目の年にあたることが本紙の調査で分かった。九十周年の福島県人会を筆頭に、山口県人会は八十周年、静岡、千葉は五十周年を迎える。県知事、議会関係者など母県からの来伯が予定されているのは五県人会。記念誌編纂などの記念事業を計画 ...

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「日本人とは何か」知る「しるべ」=島村衆議『百年の水流』を推薦

2007年1月10日付け  フリーライター外山脩さんの本『ブラジル日系社会 百年の水流』―日本外に日本人とその子孫の歴史を創った先人たちの軌跡―を読んだ、島村宜伸衆議院議員が、このほど、推薦の言葉をコロニアに寄せた。さきに石井久順ブラスヴィア社長が、同著書を同議員に贈ったところ「壮大な作品、深い感銘を受けた」と読後感を一文にした ...

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「百周年に一致団結を」=文協で新年祝賀会=レジストロ

2007年1月5日付け  新年を迎えレジストロ日伯文化協会では、同会館において二〇〇七年(平成十九年)元旦午前九時三十分より、約七十人の出席の下に盛大に新年祝賀会が催された。  新年祝賀会は、金子国栄の司会によって進行し、ブラジル国歌、君が代が斉唱され、「年の始め」を全員で歌った。  高橋国彦文協会長の新年のあいさつに続き、山村 ...

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トミさん後は大原綾子さん=暫定=生存する最古の日本移民=第3回厳島丸で1912年に=百歳迎えかくしゃくと=「新聞読むのが楽しみ」

2007年1月1日付け  〇六年年十月、百歳を迎えて亡くなった最後の笠戸丸移民、中川トミさんと同郷熊本出身で同い年の元気なおばあちゃんがサンパウロ市アクリマソン区に住んでいる。大原綾子さん、百歳だ。一九一二年の厳島丸で来伯した大原さんは、ニッケイ新聞の現時点の調査で、トミさんに次ぐ最古の日本移民だ。つまりもっとも長くブラジルに住 ...

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日本文化の継承戦略とは―――百周年以後の日系社会はどうあるべきか―――□「樹海」拡大版□=「移住は壮大な実験」=12世誕生への心構え

2007年1月1日付け  四百年前の山田長政の試みは歴史の泡と消え、のちの世になんの痕跡も残さなかった。どうしたらブラジルでは、その二の舞を演じずにすむのか──。ニッケイ新聞は「日本人にとって移住は、日本国開闢以来の文化継承の壮大な実験だ」との観点から、日系社会の日々の変貌と取り組みの記録を残すと同時に、その分析を心がけてきた。 ...

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戦前最後の移民船で渡伯=「ブラジルに来て助かった」=サンパウロ市=森廣 登さん=「このまま戦争が続いたらどうなることかと思っていた。勝ち負けでなく、早く終わればいいと思っていたよ」

2007年1月1日付け  「心配することなく、ブラジルに来る決心がついた」。一九〇六年生まれ、昨年百歳を迎えた森廣登さん(岡山県出身、サンパウロ市在住)は、四一年にブラジル行きを決めたときの心境をそう話す。  「戦争が始まって仕事が厳しかった。戦争にどんどん出て行くので人が足らなかったんや。午前、午後、晩と働いて残業ばっかやった ...

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