2007年1月1日付け 二〇〇八年のブラジル日本移民百周年まで、ついにあと一年となった。一世紀の節目にあわせ、今年から来年にかけて、ブラジル国内でさまざまなイベントが実施されると思われる。そこでニッケイ新聞では「百周年行事予定表」として、全伯日系団体に進行中の行事計画に関する情報を呼びかけた。集まった情報から、国内各地で着々と ...
続きを読む »笠戸丸 関連記事
400年分の思い出=百歳の翁に迎春インタビュー
2007年1月1日付け 最後の笠戸丸移民、中川トミさんが昨年十月、百歳の誕生日を迎えた直後、亡くなった。現在、百歳以上の一世たちは約六十人(伯各領事館調査による)。昨年六月の調査から、ニッケイ新聞編集部の取材では、すでに五人が鬼籍に入っている。来年、百周年を迎えるにあたり、ブラジル日系社会の礎を築き、繁栄を見つめ、そしてその明 ...
続きを読む »(3)中川トミさん死去=最後の笠戸丸移民、100歳で
2006年12月29日付け 第一回笠戸丸移民の中で唯一の生存者だった中川トミさんが、二〇〇六年十月十一日、老衰のためロンドリーナで死去。NHKなどの大手マスコミはじめ各地方紙、伯字紙など日伯両国で多数のメディアが扱うなど大きな反響を呼び、コロニア中に大きな衝撃を与えた。享年百歳だった。 一九〇六年十月六日に現在の熊本県熊本市 ...
続きを読む »ローランジャに3館建設=パラナ=百周年に新計画も=連邦技術大学=半額日本に申請
2006年12月28日付け ローランジャに移民史パビリオン建設へ――。第三十四回パラナ日伯友好経済使節団の団長として訪日していた上野アントニオ義雄パラナ日伯商工会議所会頭(84、二世)は二十二日来社し、同州百周年記念事業に関わる訪日成果と、その進展具合について説明した。記念事業の目玉、ロンドリーナ市への連邦技術大学誘致に関して ...
続きを読む »史料館刷新に向け一歩前進=バストス市=運営委員会を設立=市民から支持される施設に=社会教育の場として
2006年12月27日付け バストス市は、十二月八日付けの市条例で、山中三郎記念バストス地域史料館運営委員会の発足を決めた。同市は日本移民百周年となる〇八年に、開拓八十周年を迎えるため、現在、史料館のリニューアル(刷新)を計画中。委員会は、史料館の運営、史料の管理などに行うかたわら、リニューアルに向けての準備に取り組む予定だ。 ...
続きを読む »大耳小耳
2006年12月23日付け 日系二世、具志堅ルイス氏は〇二年の大統領選挙でコーディネータとして、ルーラ当選を舞台裏から支えた影の功労者。〇五年七月、連邦政府機関にまつわる疑惑の責任を取る形で、ロウセフ官房長官の管轄下へ配属され、閣僚扱いから降格となっていた。十月の大統領選で、盟友ルーラが当選したことを見届けたあと引退を表明して ...
続きを読む »ジャパンセンター計画者=天野さんの土地に〃変化〃=荒廃の歴史的建物が崩壊=100年祭事業に影響は?
2006年12月21日付け サンパウロ市リベルダーデ区で、サンパウロ市の歴史的文化財に指定されている二階建ての建物(東洋文化会館前)が、十六日午前一時すぎに崩壊した。同建物は、築百年以上で保存状態が良くなく、崩壊の原因は十五日の強い雨だとみられる。この建物敷地は、「ジャパンセンター」建設を計画して、コロニアの支持を求めている天 ...
続きを読む »ブラジルからインターネットで生放送=NHK「地球アゴラ」=六世誕生や移民の歴史扱う=ブラジル紅白の熱唱ぶりも
2006年12月9日付け NHKは、在外邦人の生活を紹介する生放送番組「地球アゴラ」を十七日に放送する。番組では、ブラジルにも焦点があてられ、笠戸丸移民をルーツに持つ日系六世の大西・エンゾ・裕太くん一家を中心にして日本移民の歴史にも触れる。このほど、取材のために関野和利さんが来伯。ブラジル紅白歌合戦やサントスの上陸記念碑、サン ...
続きを読む »動き出すロンドリーナ百周年=組織委が事業計画発表=08年に5日間の祭典イベント=「中川トミ広場」建設も
2006年12月9日付け ブラジル日本移民百周年に向けロンドリーナ日系社会の動きが本格化してきた。ACEL(ロンドリーナ文化体育協会)など市内日系団体による組織委員会(吉井篤委員長)が十一月二十四日、アセル会館で記念事業の概要を発表した。二〇〇八年六月に五日間の記念祭典イベントを実施するほか、市内セントロに「トミ・ナカガワ広場 ...
続きを読む »この人を知りませんか?《8》=1918年の日本人運転手
2006年12月5日付け ブラジル日本移民史料館が所蔵する写真の人物を特定する「この人を知りませんか?」。八回目は「サンパウロ日本人運転手組合」の写真です。 一九一八年四月に撮影されたこの一枚。当時サンパウロにいた日本人運転手の面々が写っています。 若々しい青年たち。当時、お抱え運転手という職業は社会的な地位も高いものだっ ...
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