2006年3月15日(水) 福博村の入植七十五周年慰霊祭が十一日、スザノ市の福博村会会館でしめやかに執り行なわれた。村内外から約七十人が訪れ、先亡者の霊に思いをよせた。七十五周年記念行事の最初を飾る、この日の慰霊祭。福博村では、九月の記念式典に向けて様々な事業を予定している。この日、会場では昨年九十周年を迎えた平野植民地の記念 ...
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コラム オーリャ!
一九三八年、東京。「ガゼッタ・デ・ノティシア」の特派員が喫茶店で、一枚のレコードを目にした。アンドレー・フィーリョの「アロー・アロー」。声の主は、カルメン・ミランダとマリオ・ヘイスだった。 ラベルには漢字で、「日本ヴィクター」。間違いなく、日本製だろう。この記者の驚きは、想像を絶したにちがいにない。日中戦争が勃発しており、国 ...
続きを読む »大耳小耳
2006年3月4日(土) 今年は南伯日本人移住五十周年。八月にリオ・グランデで開かれる式典のほか、地元ではいろいろな記念事業が動きだしているようだ。一月にポルトアレグレの中央駅で行われたオープニングを皮切りに、和紙人形、陶磁器、浮世絵展など、年の後半にかけて様々な催しの準備が進められている。さらに今月十六日から二週間、同市の近 ...
続きを読む »肥後弁ジョークも=汎ロ熊本県人会で総会
2006年3月2日(木) [ロンドリーナ]汎ロンドリーナ熊本県人会(中川芳則会長)は、去る一月十五日、西本願寺会館で定期総会、新年宴会、ならびに熊本県知事から贈られた高齢者章、米寿章の伝達式を行った。ロンドリーナはじめマウア・ダ・セーラ、セルタネージャ、イビポランなどの会員合わせて五十二人が参加し賑わった。 先駆者の霊に黙祷 ...
続きを読む »県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(3)=プロミッソン=謎 背中合わせの記念塔=清貧に生きた上塚偲ぶ
2006年2月16日(木) 平野植民地で分かれを惜しみながら出発した一行は、午後四時前、プロミッソンの上塚周平公園についた。上塚(一八七六―一九三五年、熊本出身)は〃移民の父〃と慕われ、特に人気の高い、移民史上の英雄の一人だ。 この土地はもともと植民地事務所があった場所で、上塚の家もここに建っていた。いわば、笠戸丸からわずか ...
続きを読む »コラム 樹海
県連の第二十四回「移民のふるさと巡り」に同行してノロエステ沿線を回った。過去最多の百二十三人という参加者の多くが、この地に何らかのゆかりがある人で、改めてここが「移民のふるさと」であることを実感した▼ただし、笠戸丸移民が入った耕地のあるグアタパラ、最初に日本人による植民地が拓かれたレジストロ、戦前の入植者が最も多かった地域で最 ...
続きを読む »マンガで日本人移民史=百周年記念 サウーデ文協が意欲=「日本の歴史」で既に実績
2006年2月3日(金) 百周年を記念して日本人移民史をマンガにして広く紹介する計画が、サウーデ文化体育協会(桂川富夫会長)で進められている。同協会は日伯修好百周年の一九九五年に日本の歴史をマンガにした本を出版して補評判を呼び、約三千部を売った実績がある。来年、同文協の四十周年を迎えることから両方の記念する事業として実施する。 ...
続きを読む »セアザの日本庭園=陛下の足跡残すも=無惨に放置される=「コロニアの力で整備を」
2006年2月2日(木) あの感動はどこへ――。一九六七年五月二十二日から一週間にわたった皇太子ご夫妻(現両陛下)の訪伯は、笠戸丸から五十九年目にしてようやく実現したコロニアの悲願だった。その時、セアザ(当時は州食料配給センター=現在は連邦管轄)内に造成された日本庭園は現在、なかば打ち捨てられたようになり、皇太子自らが除幕され ...
続きを読む »ヨットで笠戸丸行路を=漫画でつづる日本移民=3次募集に120件応募=百周年プロジェクト=地方に多い日本庭園プラン
2006年1月19日(木) ブラジル日本移民百周年祭典協会のプロジェクト委員会(田中洋輔委員長)では昨年末で記念プロジェクトの第三次募集を締め切ったが、合計約百二十件の応募があった。全体の半分近くは大サンパウロ圏外からで、遠くは南マット・グロッソ州ドウラードス市からの提案もあった。「漫画でつづる日本人移民史」や、笠戸丸の航路を ...
続きを読む »移民百周年記念協会=記念事業は盛り沢山
1月1日(日) ■まだ構想段階の計画も=アニェンビーで記念式典 新年を迎え、いよいよ〇八年まで二年を切った――。ブラジル日本移民百周年記念協会(上原幸啓理事長)では、注目されがちな「箱モノ」記念四事業以外に、たくさんの主催行事を企画・認可している。この機会に今まであまり報道されていないプランを中心に紹介し、百年祭の全貌を伝える ...
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