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サンパウロ 関連記事

アニマ・ムンディが開催=世界第2位のアニメの祭典

ニッケイ新聞 2013年7月31日  毎年8月、ブラジルでは大規模なアニメ祭「アニマ・ムンディ」が開催される。今年は8月2日からがリオ(〜11日)で、サンパウロでは14日から(〜18日)開かれる。  アニマ・ムンディは1993年にはじまったアニメの祭典で、南米では最大、全世界で見ても第2位という大きな規模を持つものだ。  今年も ...

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黒人生徒らに優遇措置=USPが入試規定を変更

ニッケイ新聞 2013年7月6日  【既報関連】サンパウロ総合大学(USP)の学内審議会が2日、黒人や褐色(パルド)、インディオと申告した公立校出身の受験者には獲得点数の5%加算という案を賛成多数で承認し、次回入試から適用する。3日付エスタード、フォーリャ両紙が報じた。  現在の同大は、私立校卒業、白人、裕福な家庭出身の学生が大 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(42)

ニッケイ新聞 2013年7月12日  本稿の初めの方で詳しく記した様に、邦人の殆どは、明治以来の日本型ナショナリズムに基づく国民教育、社会教育を受けて成長した人々であった。ブラジルに渡ってからは、日本から吹き込むナショナリズムの熱風を浴びた。  戦時中は、迫害の中、祖国の勝利の日を待ち続けていた。天皇への尊崇や国家に対する信念は ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第116回

ニッケイ新聞 2013年7月16日  時事通信から配信されたニュースで一面記事を作成していた。午前中に翌日の新聞のトップ記事と右肩にどの記事を掲載するかなどを決め、その原稿を印刷工場に回し、記事のタイトルを四階の写植部に回しておけば、昼休みから夕方四時、五時までは何もすることがなかった。  編集室は窓際から翻訳・スポーツ欄の小笠 ...

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カトリック信者数が減少=約20年で18%P減=プロテスタントが勢力拡大=北東部では神父が不足

ニッケイ新聞 2013年7月24日  〃カトリック大国〃ブラジル—。かつては国民の90%がキリスト教徒でその90%がカトリックという圧倒的な数字を誇っていたが、現在は事情が異なる。今も世界で最も信者数が多い国ではあるが、21日付フォーリャ紙によれば、その割合は1994年の75%から57%(今年6月)に減り、週1回以上教会に行く人 ...

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サントリーがブラジル再進出=5月に事務所をオープン=長寿商品『角瓶』も販売=ウイスキーブーム狙い

ニッケイ新聞 2013年7月26日  サントリーホールディングス社の子会社『サントリー酒類株式会社』(東京都、相場康則代表取締役社長)が今年5月、サンパウロ市に事務所を開設した。同社は1970年頃に進出し、製造販売や日本食店「燦鳥」の経営を行っていたが、2004年に撤退した。長寿ブランドウイスキー「角瓶」、焼酎、梅酒など10種の ...

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世界一大きな国旗?=サンパウロ州の農園に〝出現〟

ニッケイ新聞 2013年7月31日  サンパウロ州西部パラナパネマ市の農家ジャコブス・デルクスさんが、自身の農場内におそらく世界で最も大きな国旗を〝揚げた〟。  サイズは長さ860メートル、幅は540メートル。デルクスさんがインターネットで調べたところ、ギネスブックに登録されている最も大きな国旗はルーマニアのもので、サイズは34 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第109回

ニッケイ新聞 2013年7月4日  テーブルの上を片付けていた叫子が、その手を止めていった。 「パウロ、字は書けるの?」  突然の質問にパウロは顔を上げて、叫子の顔をまじまじと見つめた。 「中学は卒業したの?」  叫子は見習い整備士の採用資格が中学卒業だということを知らないから、悪びれることなく単刀直入に聞いた。  パウロは予期 ...

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特別展『ブラジルの医療に献身した日本たち』=神戸・移民ミュージアムで開催中=黒田理事「功績紹介したかった」

ニッケイ新聞 2013年7月16日  【神戸市発=池田泰久通信員】ブラジル日本移民百周年を記念して2009年に旧神戸移住センターを改修して開館した「神戸市立海外移住と文化の交流センター」内の移民ミュージアムで、特別展「ブラジルの医療に献身した日本たち」(財団法人日伯協会、神戸市)が開かれている。同市民はじめ、日本各地や海外から日 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(48)

ニッケイ新聞 2013年7月20日  既述の憩の園の聞き取り調査の中には、次の様な話も記されている。  女性S「当時私たちはアルバレス・マッシャードへ行って居りました。そこで百姓をしておりました。いとこが街で、仲買商のところに勤めていて、ポルトガル語の新聞で色々な情報を見て、日本は勝ってなんかいないンだ、ものすごい爆弾のため惨憺 ...

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