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サンパウロ 関連記事

第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(50)

ニッケイ新聞 2013年7月24日  つまり、間もなく始まる彼らの襲撃の真の動機は、認識派史観が言う様な「敗戦認識の啓蒙運動を封じるため」ではなく「敗戦派の中に広まっているという皇室や国家に対する暴言」「軽率で無責任な啓蒙運動に対する怒り」だったのである。 名前は初登場だが、押岩と同じキンターナの住人で、襲撃では山下や日高と行を ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(55)

ニッケイ新聞 2013年7月31日  さらに、席上、各地の認識運動や戦勝派の動きが、出席者から語られているが、危機感を強く表現しているのがバストスで、山中弘は、 「バストスハ何ラカノ方策ヲトラネバ コノ認識運動モ駄目ニナル」  と実情を明らかにし、後で、もう一度、同趣旨の話を繰り返している。 やはり危機感を伝えているのがツッパン ...

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援協定例役員会=SUS病院が8月に開院=新病院定礎式も年内目指し

ニッケイ新聞 2013年7月4日  サンパウロ日伯援護協会(菊地義治会長)の6月定例役員会が22日、本部会議室で開かれた。  サンミゲル・アルカンジョ病院建設委員会の報告によれば、同市に建設中のSUS病院の工事は順調に進んでおり、現在はインフラ設備を整えている段階だ。7月8日ごろまでに完工し、同月から従業員の募集を開始する。27 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(39)

ニッケイ新聞 2013年7月6日  戦勝派史観は、さらに次の様に言う。  「襲撃事件は、実行者たちの独自の行動であり、臣道連盟が組織的・計画的に行ったものではない。しかるに、ハイセン(敗戦派)の密告によって、警察は『秘密結社・テロ組織の臣道連盟の犯行である』と思い込み、大量の人間を検挙した。主だった連盟員を根こそぎ拘引・留置した ...

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春の叙勲、伝達式で誇らしく=宮尾、白石、小野三氏に

ニッケイ新聞 2013年7月16日  【既報関連】在サンパウロ日本国総領事公邸で先月28日、『平成25年春の叙勲』の同総領事館管内における受章者への伝達式が開かれた。  今回表彰されたのは、サンパウロ人文科学研究所顧問の宮尾進(82、長野、旭日双光章)、ノロエステ連合日伯文化協会会長の白石一資(77、二世、旭日双光章)、ドウラー ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(46)

ニッケイ新聞 2013年7月18日  同じポンペイアの市街地に居た白石静子(既出)は14、5歳であったが、こう思い出を語る。彼女の家族も戦勝派であった。  「ウチの親族に不幸があって、葬儀の時、近くの敗戦派の人が香典を届けに来ました。私は、一緒に住んでいた叔父に言いつかって、返しに行きました。『申し訳ありませんが、これは受取れま ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第120回

ニッケイ新聞 2013年7月20日  十八家族五十四名は、リオデ・ャネイロで下船、イーリャ・ダス・フローレス移民収容所に一先ず入所した後、アマゾンに向かった。四人の孤児はそのままサントス港に向かい、彼らがブラジルの土を踏んだのは、それから二日後の十三日のことだった。「明るく瞳輝いて、孤児四名元気で着く」という見出しで、二月十四日 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第122回

ニッケイ新聞 2013年7月24日 「日本で記事が出るとなると、家族が読む可能性が出てくるので……」いつもの小宮らしからぬ歯切れの悪い返事だ。  しかし、すぐにいつもの小宮に戻り、意を決したように言った。 「児玉さんの取材はお受けしたいと思います。でも、少し時間をいただけますか。私たちがホントに揺るぎない幸福な生活を築くまで待っ ...

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高すぎなくて洒落たイタリアン=イタリア料理店エラ(Ella、サンパウロ市西部ピニェイロス)

ニッケイ新聞 2013年7月27日  オシャレな高級料理店ができる傾向のあるサンパウロ。「ただ、そういう店はなかなか手が出ない…」。インフレ傾向の強い昨今は特にそう思う人も多いだろう。  だが、西部ピニェイロスに3月にオープンしたイタリア料理店エラ(ELLA)は手ごろな値段で美味なイタリアンが堪能できる。パスタ類は30レアル代、 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第127回

ニッケイ新聞 2013年7月31日  「日本は勝った」と異様な熱気に包まれた日系社会で、負け組の人々は「非国民」と罵声を浴びせ掛けられ、命を狙われた。そして一九四六年三月七日午後十一時三十分頃、バストス産業組合専務理事の溝部幾太が、バストス市街地にある自宅裏庭で背後から拳銃で撃たれ死亡した。  その後も、勝ち組によるテロの嵐が吹 ...

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