ホーム | サンパウロ 関連記事 (ページ 1152)

サンパウロ 関連記事

【祝 福博村入植80周年】祭典に400人参加=「海外写真集」に夢広げる=鶏魂碑を井野養鶏場に遷座

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  文化村として知られ、常に地方の視点から中央に影響を与え続けてきた福博村(上野ジョルジ村会会長)が入植80周年を迎え、2日午前10時30分から福博村会会館で記念祭典を開催した。祭典には村民ほか、昔村に住んでいた人などが招待され、約400人が参集した。式典前の午前9時から、1970年に福博 ...

続きを読む »

【祝 福博村入植80周年】高木醸造食品(有)=ブラジル全土に販売網展開

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  高木醸造食品は1969年に設立され、たくあん、豆腐、かまぼこなど野菜、大豆、魚を原料とした日本特有の保存食を生産し、サンパウロ市内にあるCEAGESP(サンパウロ州保税・一般倉庫公社)に支店を持って、直接販売している。  高木政親社長(たかき・まさちか、11代目酒造り、61歳)は195 ...

続きを読む »

【祝 福博村入植80周年】父子で村会を守る=上野博、ジョルジ会長

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  上野ジョルジ会長の厳父上野博さん(熊本県出身、次男、1922〜2002)は1927年に祖父正喜、祖母トメヲさんらと渡伯、リンスの第二上塚植民地に契約移民として入植した。  46年に福博村のパウメイラス区に移転、養鶏と炭焼きのためのユーカリを兼業で植林した。4年後の50年、同村内のエスト ...

続きを読む »

【祝 福博村入植80周年】親子相伝の植木作り=石橋家3代目の一也さん

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  「祖父(石橋初雄)が日本から持ち帰ったモミジなどの植木を、父(石橋聖哉=1929〜2008)が大事に育てた。その木を私(石橋ジョン一也)の代で枯らすわけにはいかない。私の代は大丈夫です」と、一也さんは祖父父子3代相伝の家業継承を宣言する。  石橋初雄さんは1903年熊本県下益城郡(しも ...

続きを読む »

【祝 福博村入植80周年】福博村80年の歩み

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け 1931年3月:原田、古賀家入植。11月杉本家が入植 1933年6月:福博二五青年会創立。古賀茂敏会長 1934年10月:福博初の日本語学校が開校。服部信永教師 1935年1月:14人の会員で福博日本人会が創立された。原田敬太会長 1935年4月:福博日伯小学校が落成 1936年4月:第 ...

続きを読む »

水彩画協会=展示会、来月17日から=初心者向け教室も

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  サンパウロ市が制定した11月23日の「水彩の日」にあわせ、11月17日から27日までリベルダーデ区のサンパウロ商業協会(Rua Galvao Bueno, 83)で作品展と関連イベント『水彩画の世界』が開催される。入場無料、水彩画グループ(小松レジーナ代表)主催、商業協会後援。  『第 ...

続きを読む »

人文研=ポ語でシンポ、27日=渡部和夫、中野慶昭氏ら

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  サンパウロ人文科学研究所(本山省三理事長)主催のシンポジウム『人文研を考える』が27日午後6時半から、文協ビル(Rua Sao Joaquim, 381, 1o. andar, sala 13, Liberdade)で開かれる。日本語の通訳がつく。  組織の活性化やブラジル社会への統合 ...

続きを読む »

話題作が続々と登場=サンパウロ市国際映画祭はじまる=主催者急逝の逆境の最中

ニッケイ新聞 2011年10月21日付け  本日21日より11月3日まで、第35回目となるサンパウロ国際映画祭が開催される。18日付本紙でも既報の通り、14日に逝去した創設者のレオン・カッコフ氏が携わったのは今回が最後。氏は死の直前まで作品の選定に携わり、脳腫瘍という大病を抱えながらも入院先で会議を開くなど、最後まで全身全霊を傾 ...

続きを読む »

IT部門で労働者不足=建設業の給与調整過去最高

ニッケイ新聞 2011年10月21日付け  情報システム工学科や電子情報工学科など、IT(情報技術)に関する大学を中退する学生が増え、同部門では2014年までに約4万5千人のプロフェッショナル(専門家)不足が起きると19日付フォーリャ紙が報じている。  ブラジルIT・情報通信企業協会(Brasscom)がサンパウロ州など8州で行 ...

続きを読む »

東西南北

ニッケイ新聞 2011年10月21日付け  今日からスタートするサンパウロ国際映画祭。開催直前に惜しくも逝去したレオン・カッコフ氏は、若かりし日にカンヌ映画祭で世界の映画界のレベルの高さを目の当たりにし、そこで受けた刺激をなんとかブラジルに持ち込まなくてはとの一心で、この国際映画祭を30余年にも渡って開催し続けていた。海外志向の ...

続きを読む »