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サンパウロ 関連記事

大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年5月8日付け  来年6月の日本拓植高 等学校の卒業生(高拓生)の入植80周年の記念事業の準備が現地を中心に進んでいるのは既報済み。ベレン高拓会の小野重善会長による「サンパウロも手伝ってほしい」との要請で高拓二世の小川彰夫氏が窓口になり、ゆかりの人を呼びかけている(連絡先=11・9631・9521)。このた ...

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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第49回・終=鈴木勝也=日本ブラジル中央協会理事長=元駐伯日本国大使=両洋間連絡路建設の夢

2010年5月8日付け  駐ブラジル日本大使として3年間連邦首都のブラジリアに勤務し、離任してから約8年が過ぎた。ブラジルにはズブの素人として着任したので、在任中どれだけお役に立てたかは全く自信がないが、ブラジルや南米については随分多くのことを学んだ。日本に帰ってからも繰り返し考えるのは、ブラジルが、米国と同様の広大な国土、億単 ...

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有言実行型の政治目指す=初の日系上議=柳井ジョルジ氏=ブラジリアで就任式=「日本との関係も重要」

ニッケイ新聞 2010年5月7日付け  ブラジル日系社会の歴史に新たな1ページ――。ブラジリアの上院議会で6日午後3時、日系人として初の連邦上院議員となったマット・グロッソ州の柳井ジョルジ義昭氏(DEM、61、二世)の就任式が行われた。上院議員(任期8年)は、各州3人が輩出され全伯81人。同州選出の故ジョナス・ピニェイロ上院議員 ...

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「同船者は兄弟姉妹」=今年もあめりか丸の集い=サントス

ニッケイ新聞 2010年5月7日付け  1959年4月にサントス港へ到着した「あめりか丸」の同船者会が4月25日、サントス市内で開かれた。33回目の今年は、初めて到着の地サントスで開催され、約30人が親睦を深めた。  今年で渡伯51年。毎年恒例の集いには、サンパウロをはじめジャカレイ、カンピーナスなど近郊各地、ミナス州アルフェー ...

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人文研研究例会=スザノ福博村を語る=DVD「75年の歩み」上映も

ニッケイ新聞 2010年5月7日付け  サンパウロ人文科学研究所(鈴木正威所長)は、研究例会『福博村75年の歩み―DVDの周辺―』を13日午後6時半から、文協会議室(1F)で開く。  講師の大浦文雄氏はスザノ福博村の永代村長で語り部的存在。06年の入植75周年事業で、氏が監修し、今年完成したDVD『福博村75年の歩み』(180分 ...

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MASP隣に無許可ビル=建設工事は一端中止に

ニッケイ新聞 2010年5月7日付け  サンパウロ市パウリスタ大通りの象徴ともいえるMASP(サンパウロ美術館)横に、IPHAN(国立歴史美術遺産院)の許可なく商業用ビルが建設されていたことが発覚。5日の連邦検察局の通告により建設工事は一時中断された。6日付エスタード紙が報じている。  建設途中の建物は、パウリスタ・コーポレイト ...

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トゥーマ法務省長官に疑惑=中国マフィアと裏取引=恩赦発布も策略か?

ニッケイ新聞 2010年5月6日付け  連邦警察の調べによれば、4月23日より海賊版撲滅委員会の委員長を務めていたロメウ・トゥーマ・ジュニオール法務省長官(PTB=ブラジル労働党)が、サンパウロ最大の中国系マフィアのリーダーでパウロ・リーと名乗る男性と電話やメールを介し密なやり取りを行っていたことが発覚した。5日付エスタード紙で ...

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東西南北

ニッケイ新聞 2010年5月6日付け  4日に行われたリベルタドレーレス杯のサンパウロ対ウニヴェルシターリオ戦は、2試合連続の無得点試合となり、準決勝進出はペナルティキックで決まる事に。自分自身のペナルティキックを相手側のゴールキーパーに止められ、チームに借りが出来たと感じたサンパウロのキャプテン、ロジェリオ・セニは、相手側のキ ...

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西村さんの死に想う=ニシムライズムの灯を消すな=サンパウロ人文研顧問=宮尾 進

ニッケイ新聞 2010年5月6日付け  日本移民百年祭も何とか無事に終って、すでに2年近い年月が経過してみると、これは私だけの感懐かもしれないが、どうも100年というくぎり、節目をつけて、一つの時代が終ったという気がするのである。  もちろんそれは「同胞社会」あるいは、「邦人社会」に続く、日系「コロニア」というあくまでも移民世代 ...

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巨星墜つ=ポンペイア市 須賀得司

ニッケイ新聞 2010年5月6日付け  氏は4月23日、路ひとすじに生き抜いた99歳の輝かしい生涯を閉じ昇天されました。  1910年京都の宇治市に生れ21歳の時、独りで力行会移民としてブラジルに来られ人並みに新移民の苦労をされた。  1939年当時鉄道の終点であったポンペイア市に降り立ち、「何でも直します」の小さな修理屋から始 ...

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