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サンパウロ 関連記事

人文研・研究例会=『インディオの世界観をかいま見て』=シャバンテ族も招き

ニッケイ新聞 2009年7月28日付け  サンパウロ人文科学研究所(田中洋典所長)は、第五回研究例会『インディオの世界観をかいま見て』を三十一日午後七時から、文協ビル小会議室で行なう。入場無料。  講演を行なうのは、同会理事で日本語情報誌「BUMBA」編集長細川多美子氏。ゲストには、マット・グロッソ州シャヴェンテ族出身のシリジヴ ...

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さくらホーム=今年もカンポス桜祭り=8月上旬が見ごろに

ニッケイ新聞 2009年7月28日付け  サンパウロ日伯援護協会・カンポスさくらホーム(与座弘ホーム長)恒例の「カンポス桜祭り」が八月一、二、八、九、十五、十六日の六日間にわたり、カンポス・ド・ジョルドン市の同ホームで開かれる。  与座ホーム長、坂和三郎援協副会長、菅野鉄夫経営委員長、大屋昇カンポスさくらクラブ会長らが二十三日、 ...

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聖総領事館=武田副領事が帰国=後任に高橋祐亮さん

ニッケイ新聞 2009年7月28日付け  在サンパウロ日本国総領事館広報・文化班の武田幸子副領事が三年間の任期を終えて帰国する。後任の高橋祐亮副領事とともに本紙を訪れた。  武田副領事は二〇〇六年七月に着任。任期中には、日伯交流の再活性化とともに、〇七年の麻生太郎外相(当時、現総理)をはじめ多数の現職大臣が来伯した。  そして百 ...

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リベルダーデを住みよい町に=CONSEG新役員発足式=小川彰夫氏が新会長に就任=福井前会長は副会長に

ニッケイ新聞 2009年7月25日付け  リベルダーデ地区治安協議会(CONSEG)の会議が二十一日夜、東洋文化会館で開かれ、新規役員(〇九―一一年)の発足式が行われた。六年間会長を務めた福井ニルトン氏が内規により交代となり、新会長に小川彰夫氏(インスティトゥートICARO代表)が就任した。  式には小川新会長、福井前会長、リベ ...

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衆院選=公館投票は19日から=初めての小選挙区投票=サンパウロは文協ビルで=郵便用紙請求も開始

ニッケイ新聞 2009年7月25日付け  日本の衆議院が二十一日解散したことを受け、第四十五回衆議院議員総選挙が八月十八日公示、三十日投開票の日程で行われる。小選挙区三百、比例代表百八十、計四百八十の議席を目指し約千二百人が立候補を予定。郵便投票は既に用紙の請求を受け付けている。在外公館投票は八月十九日から二十二日の四日間の日程 ...

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やすらぎホーム=「春の1日楽しんで」=3千本の「つつじ祭り」

ニッケイ新聞 2009年7月25日付け  サンパウロ日伯援護協会のやすらぎホーム(与儀昭雄経営委員長)は八月二日午前九時から午後五時まで、恒例の『つつじ祭り』をガルーリョスの同ホーム(Rua Anezio Ruivo, 377, Sitio Sao Francisco)で開催する。入場無料。リベルダーデから会場まで有料バスが出る ...

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■今週末の催し

ニッケイ新聞 2009年7月24日付け 土曜日  第四十八回全伯相撲大会、二十五~二十六日、午前八時、スザノ市SESI(Av.Senador Roberto Simonseu,550,Jardim Imperador)     □  第二十四回ブラジル選抜歌謡大会、二十四~二十六日、ブラジル日本文化福祉協会大講堂(サンジョアキン ...

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東京農大会30周年シンポ=日本から3教授が来伯講演=8月1日

ニッケイ新聞 2009年7月24日付け  【既報関連】ブラジル東京農大会(大島正敬会長)は同会創立三十周年と移民百一周年を記念して、八月一日午前九時半から午後四時半まで三重県人会館講堂(Av.Lins de Vasconselos,3352-Vila Mariana)で学術シンポジウムを開催する。  講演会の統一テーマは「食料と ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2009年7月24日付け  とうとうと言うか、やっとと言うか…。十年以上不法占拠されていたリベルダーデ区ガルボン・ブエノ街の人家に二十三日午前、警察が入った。見物客も増えて、周囲は一時異様な雰囲気に。追い出された家族は、何と九家族。金澤菓子店の前あたりで、いつも小さな子供がうろちょろ。若い夫婦が多かったのだろう。荷 ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年7月24日付け  「明治の日本人を見たければ、ブラジルに行け」。この大宅壮一の有名な言葉が一人歩きしているような気がしていた。移住地で育った戦前二世にその香りを感じることもあるのだが、現在一世の多くは戦後移民だし、そもそも評論家が来伯したのは五〇年代だ。先日、この言葉をふと思い出した▼「浅学菲才の私がこの ...

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