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サンパウロ 関連記事

計画のみ先行の投資促進=予算もなく、民間頼り=「絵に描いた餅」と専門家

2007年1月17日付け  【エスタード・デ・サンパウロ紙十六日】ルーラ大統領の二期政権に向けての経済政策として政府経済スタッフが検討中の投資促進計画につき、大方のエコノミストが実態にそぐわないとして否定的な見方をしている。  促進計画の具体策は今月二十二日に発表される見通しだが、骨子は、国内総生産(GDP)対比二五%の投資を促 ...

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シナグリア下議支持を再議論=PSDB=元大統領らが「待った」

2007年1月17日付け  【エスタード・デ・サンパウロ紙十六日】下院議長候補の支持をめぐって意見が分かれているブラジル民主社会党(PSDB)は、二十三日にブラジリアで会合を開き、下院リーダーのジュタイ下議がすでに発表した労働者党(PT)シナグリア下議の支持表明を党として署名するかどうかを再議論して決定することになった。  ジュ ...

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陥没事故混乱に便乗=自動車強盗犯ら10人逮捕=サンパウロ市

2007年1月17日付け  【エスタード・デ・サンパウロ紙十六日】十二日に発生したサンパウロ市ピニェイロス区での地下鉄工事現場の陥没事故で、火事場泥棒ならぬ便乗強盗や車盗みが横行、少なくとも十人が逮捕された。  事故でマルジナル・ピニェイロス道が交通規制で徐行を余儀なくされたことで、渋滞となったのを狙って運転者や同乗者から金品を ...

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2006年十大珍事件=ロイター発、日本から伯まで

2007年1月17日付け  【フォーリャ・デ・サンパウロ紙十二月十七日】ロイター通信は十六日、二〇〇六年の十大珍ニュースとして次を選んだ。 ▼日本の携帯電話メーカーは、女性が安心してアレを行える時期を教える携帯電話を開発したと発表した。その時期にはロマンチックな音楽が流れ、ことの最中は一切の呼び出し電話をカットしてくれる。 ▼一 ...

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「構想ではなく空想」=裏付ない経済活性化案

2007年1月17日付け  【エスタード・デ・サンパウロ紙十二月二十二日】大統領府のシンジェル報道官によると、経済活性化包括案の不備な点の再吟味をルーラ大統領が命じたという。呪縛されたブラジル経済を解放するため数々の経済化活性案が出たが、財務省がついていけないらしいとエスタード紙は次のような論評を掲載した。  ルーラ政治を評価し ...

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米不動産王、伯に注目=人口と豊かな資産を有望視

2007年1月17日付け  【エスタード・デ・サンパウロ紙十二月十八日】米国不動産業界の覇者サム・ゼル氏が十七日、次の投資国ブラジルへ白羽の矢を立て来伯した。同氏は自社エクアイティ・オフィスを三六〇億ドルで売却し、翌日には極寒のシカゴから酷暑のリオデジャネイロへ到着。空港から合弁先のBracorへ直行の強行軍。  ジーンズに野球 ...

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「野菜を食べてもらおう」=フォルタレーザで足立さん、日本食品店経営=小さな八百屋から始めて=今でも葉ものは自ら栽培

2007年1月17日付け  【フォルタレーザ】セアラ州の州都フォルタレーザの市街地にある〃メルカジーニョ・ジャポネス〃。「缶詰でなくて、新鮮な野菜を食べてもらいたい」。足立ハルオさん(74、一世)が、そんな思いで小さな八百屋を始めて、今年で三十八年。店は大きくなり、近隣の町から日本食品を求めて日系人らが訪れるようになった。が、し ...

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真夏の栗拾い=益田農場=売上げ、慈善寄付

2007年1月17日付け  毎年恒例の慈善栗拾いが十四日、サンパウロ州ピエダーデ市の益田農場(益田照夫農場主)の栗山でおこなわれた。サント・アマーロやカンピーナスなど、サンパウロ市近郊からバスで駆けつけた約五百人が参加した。  涼やかな風が吹き抜けるなか、参加者たちはポンポンと毬(いが)を竹の筒で叩き、携えた大きな袋に夢中になっ ...

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援協特典を広げる=70歳以上新会員に新措置

2007年1月17日付け  サンパウロ日伯援護協会は、会員特典として、七十歳以上の新規会員に対し、従来の六十日間のカレンシア(猶予期間)を経ずに、加入後すぐに援協総合診療所、日伯友好病院の医療割引を受けられるようにした、と十五日、発表した。詳しくは会員課(電話11・3385・6607)まで。

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移民史に新たな一ページ=サンパウロ州新報=香山六郎の写真百枚超=娘のジェニーさんが史料館に=平野運平の直筆葉書も

2007年1月17日付け  第一回ブラジル移民船笠戸丸で渡伯し、戦前に邦字紙「サンパウロ州新報」社主をつとめた故・香山六郎氏(一九七六年没)が所蔵していた写真がこのほど、家族からブラジル日本移民史料館に寄贈された。寄贈されたのは戦前から戦後にかけて撮影された写真約百十枚。中には笠戸丸移民の通訳としてサンパウロ州グアタパラ耕地に入 ...

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