2007年1月5日付け 月刊ピンドラーマの一月号が発行された。 巻頭特集は「リオのカーニバル・その傾向と対策」。そのほか、観光ページではリオ北方の海岸ブジオスを紹介今月二十五日のサンパウロ市制記念日にちなんでサンパウロ誕生の歴史を紹介している。 サッカーでは昨年のトヨタ世界クラブ選手権で優勝したインテルナシオナルの同行レポ ...
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大耳小耳
2007年1月5日付け サンパウロ日伯援護協会はこのほど、福祉団体として免税措置が受けられる仮の認証を政府から六カ月の条件で受けた。事務局が先月七日、国家福祉審議会に申請し、翌日連絡が入ったという。正式な証明書は発行されるまでに一年半から二年ほどかかる見通しで、援協は今後、この六カ月の仮認証を更新し続けることになる。同会にとっ ...
続きを読む »今年の干支は〃いのしし〃=百周年も猪突猛進で=珍しいジャバリー飼育=200キロ超の巨体も
2007年1月1日付け 今年の干支は猪。日系社会も来年の移民百周年に向けて〃猪突猛進〃に突き進もう!──との勢いで、元気に乗り切っていきたいものだ。そこで今回、あまり知られていないジャバリー(猪)の飼育方法とお薦めのレストランを紹介しよう。 サンパウロ市近郊スザノ市在住の鈴木光男さん(56、三世)はブラジルでも珍しいジャバリ ...
続きを読む »ブラジルの新年展望=守りから攻めへ=企業移住の時代来る
2007年1月1日付け 【エスタード・デ・サンパウロ紙十月五日】ブラジルの二〇〇七年は、企業移住時代といえそうだ。国際市場へ打って出るには、ブラジルの英雄である必要はない。企業の国際化を図ることだ。外国で活躍するブラジル企業は、製造業に始まり運送、物流、フランチャイズ、銀行業、農作物栽培、工事請負など多岐にわたっている。一方、 ...
続きを読む »「極めて困難な作業」=成果失わず、前進できるか
2007年1月1日付け 【エスタード・デ・サンパウロ紙、フォーリャ・デ・サンパウロ紙ほか】四年に一度、大統領選挙の行われる節目の年だった二〇〇六年が幕を閉じた。新政権が発足する今年は、政界仕切り直し後の今後四年間を占う注目の年と言える。 新政権発足とはいえ、ブラジル丸の舵を取る船長は、再選を果たしたルーラ大統領に変わりはない ...
続きを読む »産業界は投資拡大へ=消費と景気刺激策に期待
2007年1月1日付け 【エスタード・デ・サンパウロ紙十二月三日】二〇〇六年度のGDP成長が低率に終わり、政府が期待した高度成長が達成できなかったにもかかわらず、産業界はこれにもめげず、〇七年度に向けて投資を拡大して生産を向上する意向を示している。 銀行業務集中サービス(SERASA)が全国の異なる部門の一〇三二社を対象に調 ...
続きを読む »日本文化の継承戦略とは―――百周年以後の日系社会はどうあるべきか―――□「樹海」拡大版□=「移住は壮大な実験」=12世誕生への心構え
2007年1月1日付け 四百年前の山田長政の試みは歴史の泡と消え、のちの世になんの痕跡も残さなかった。どうしたらブラジルでは、その二の舞を演じずにすむのか──。ニッケイ新聞は「日本人にとって移住は、日本国開闢以来の文化継承の壮大な実験だ」との観点から、日系社会の日々の変貌と取り組みの記録を残すと同時に、その分析を心がけてきた。 ...
続きを読む »女が男を10倍磨く=3人目の妻と寄り添う=サンパウロ市=磯部正さん=「百年は長いといえば長い。短いと言えば短い」
2007年1月1日付け 「女が偉かったら、男は十倍の力を発揮できる。そう信じて疑わない」。そんな信条を力強く話すのは磯部正さん(北海道出身、サンパウロ市在住)。九十歳のときに智恵子さん(89)を三人目の妻として迎えた。 「とりあえず金もうけしてカフェザールをやらないかんと思ったから」。一九三三年、磯部さんは二十七歳で呼び寄せ ...
続きを読む »永住のつもりで渡航=90歳から百人一首を模写=サンパウロ市=高山辰雄さん=「うちは侍の家だったし、古かったから、寄付の額が高くて。オヤジはそれが嫌で日本を出ることにしたんだ」
2007年1月1日付け サンパウロ市在住の高山辰雄さん(石川県出身)は、仕事を引退して今年で四十年。九十歳から百人一首の模写をはじめ、百歳になった今でも続けている。「私は子供運がよかったんですな」とこれまでを振り返った。 一九一八年、第一次大戦中に十二歳で家族とともに渡伯。そのころの金沢は、「自動車が一台くらいしかなくて、通 ...
続きを読む »戦前最後の移民船で渡伯=「ブラジルに来て助かった」=サンパウロ市=森廣 登さん=「このまま戦争が続いたらどうなることかと思っていた。勝ち負けでなく、早く終わればいいと思っていたよ」
2007年1月1日付け 「心配することなく、ブラジルに来る決心がついた」。一九〇六年生まれ、昨年百歳を迎えた森廣登さん(岡山県出身、サンパウロ市在住)は、四一年にブラジル行きを決めたときの心境をそう話す。 「戦争が始まって仕事が厳しかった。戦争にどんどん出て行くので人が足らなかったんや。午前、午後、晩と働いて残業ばっかやった ...
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