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サンパウロ 関連記事

「立候補失格者リスト」提出=会計検査院=元政治家ら2900人=不正入札などで公金を横領=異議申し立てで楽々と出馬

2006年7月5日(水)  【エスタード・デ・サンパウロ紙四日】選挙高等裁(TSE)は三日、連邦会計検査院(TCU)から二九〇〇人分の違法取引報告書を受け取ったと発表した。同報告書は別名「立候補失格者リスト」と呼ばれ、公的機関で行政活動に従事しながら不正入札や水増し請求などで公金を横領した犯罪者リストである。この中には、次期総選 ...

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6月の輸出再び記録更新=114億3500万ドル=輸入も急増し貿易黒字減少

2006年7月5日(水)  【エスタード・デ・サンパウロ紙四日】六月度の輸出が一一四億三五〇〇万ドルに達し、これまで数度にわたり塗り代えられてきた最高記録を再び更新し、単月での史上最高に踊り出た。輸入は七三億五三〇〇万ドルで、これにより貿易黒字(輸出から輸入を差し引いた)は四〇億八二〇〇万ドルとなった。  産業開発省が発表したも ...

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年金制度改革で呉越同舟=20年から支給開始65歳へ

2006年7月5日(水)  【フォーリャ・デ・サンパウロ紙四日】次期大統領の本命候補と評される現職ルーラ大統領と前サンパウロ州知事のアウキミン氏の所属政党、労働者党(PT)とブラジル民主社会党(PSDB)は、両党とも大統領選を制し政権を獲得した後、年金制度改革に取り組むことを検討している。しかし国民生活に直結する微妙な問題である ...

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「食事に毒を混入する」=刑務官労組=PCCと全面対決へ=サンパウロ州

2006年7月5日(水)  【エスタード・デ・サンパウロ紙四日】犯罪組織州都第一コマンド(PCC)がサンパウロ州保安局に新たな宣戦布告をして、刑務所破壊と刑務官殺害を実行に移したのを受けて、軍警および刑務官労組は対決の姿勢を打ち出した。  二十八日から現在までに三人の刑務官と一人の警備員がPCCに襲撃されて犠牲となったことで、同 ...

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FTAAにメリットなし=横暴すぎる米国の最後通牒

2006年7月5日(水)  【エスタード・デ・サンパウロ紙十三日】ブラジルにとってメルコスルは我が家であるが、米州自由貿易圏(FTAA)はどうでもよくなったと、ルーベンス・バルボーザ元駐米大使がいう。ブラジルはどっちつかずの状態でいるより、西半球共同市場に確固とした足場を築く必要があると考えていた。  米政府要人の一行が最近、F ...

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ブラジルの夢、露と消える=ラテンアメリカ統合はお預け

2006年7月5日(水)  【エスタード・デ・サンパウロ紙二十五日】ルーベンス・リクペロ大使は記者会見で、ブラジルがラテンアメリカ統合に掛けた夢ははかなく消えたと慨嘆した。ラテンアメリカ共同体結成の鍵は、お互い同士の信用と同大使は思っていたようだ。  モラレス・ボリビア大統領のブラジルへの敵意ともとれる対応で、双方の信用は失われ ...

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ヴァリグに群がるハイエナ=外国資本制限を詭弁で覆す

2006年7月5日(水)  【エスタード・デ・サンパウロ紙二十四日】ブラジル航空法第一八一条によれば、ブラジルに本店を置き一般乗客を輸送する航空会社の資本金は、八〇%をブラジル人で所有することとなっている。ヴァリグ従業員団は十分に条件を満たしている。  しかし、民間航空従業員協会(Fentac)が支援したヴォロ社は、二〇〇五年に ...

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日本移民の組合精神とともに=CEAGESP=創立40周年祝う=南米最大の食料基地に

2006年7月5日(水)  南米最大の食料配給基地、CEAGESP(サンパウロ州中央青果市場=以下、セアザ)の創立四十周年を祝う式典が六月三十日午後、同センター内講堂で行われ、約二百人が節目の年を祝った。同センターが現在のように世界で五指に数えられる人口を抱える大サンパウロ圏の台所を支える存在となるまでには、日系組合や農家の貢献 ...

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導師は女性主管=オザスコ文協が移民祭法要

2006年7月4日(火)  オザスコ日伯文化体育協会(平塚修会長)と同市議会(宮崎文生実行委員長)共催の日本移民九十八周年先没者追悼法要が、十八日午後三時から、同会館で開かれた。  エミージオ・テレイラ・デ・ソウザ同市市長を始め、丸橋次郎在聖総領事館首席領事や、平塚会長、宮崎実行委員長、坂和三郎サンパウロ日伯援護協会副会長らが挨 ...

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コロニアからも哀悼の意=橋本元首相死去=現職総理として来伯=日伯議連会長つとめる

2006年7月4日(火)  橋本龍太郎元内閣総理大臣が一日、多臓器不全と敗血症性ショックのため東京で死去した。一九九六年に現職総理大臣として十四年ぶりに来伯、日ブラジル会議員連盟の会長も務めるなどブラジルと深い関わりのあった元首相。政界引退後も親伯派として大きな存在だった。日本移民百周年を二年後に控えた突然の訃報に、ここサンパウ ...

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