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サンパウロ 関連記事

ブラジル力行会の略史=百周年記念誌編纂委員会=〈3〉=古賀捷則

ブラジル力行会は「子孫の繁栄は教育にあり」とし、アルモニア学生寮建設を決議。1951年、永田稠会長の臨席のもとに、学生寮の上棟式を行なう。

 北米の排日運動の高まりにより、在米日本人は朝鮮や満州への再移住に走る人々が増えますが、永田会長は彼らに南米への転住を勧め、井原氏のほか、輪湖俊午郎、加藤保松、野上豊、宮尾厚氏などがブラジルへ再移住しました。  サンジョゼ・ドス・カンポスに入植した井原氏は、会員の世話をしたり力行会の体制作りに献身的に働き、周囲の厚い信頼を得て、 ...

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東西南北

 ここ数日、ブラジルのネット上に、病院のベッドに横たわり、明らかに何者かに殴られたとわかる、顔を真っ赤に腫らした高齢者の女性の写真があがり、話題を呼んでいた。この女性はサンパウロ市南部アクリマソンの市職員病院に入院中のテレーザ・デ・ジェズス・ガルシアさん(78)だ。テレーザさんは先週の木曜日に静脈瘤の手術を受け、身動きが取れなか ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(12)=アルゼンチン日系二世が文協会長

日本祭りの最後に並んだ文協役員と主要スタッフ、来賓(マイクを持つのが玉田会長、右から7人目が後藤総領事)

 ロンドニア日伯文化協会の会長は、なんとアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの日系人、玉田マリエラさん(49、二世)だ。戦後移民の娘らしく、日本語が達者で、日本研修中にブラジル日系三世(サンパウロ州トゥッパン出身)の夫と知り合い結婚した。  一時はサンパウロ市タトゥアペに住んで広島県人会の会員にもなったが、「仕事が忙しくて、活動 ...

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ジーコのタイトル剥奪? =1987年ブラジルサッカー、単独優勝はスポルチとブラジル最高裁が判断

 ブラジル最高裁は18日、1987年のサッカーの全国選手権優勝チームを、スポルチのみとする判決を下した。  ブラジル全国選手権はこの年、フラメンゴ、ヴァスコ、フルミネンセ、ボタフォゴ、サンパウロ、コリンチャンス、サントス、パルメイラス、クルゼイロ、アトレチコ・ミネイロ、インテルナシオナル、グレミオ、バイーアの13チームがCBFと ...

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《ブラジル》モロ判事がルーラ弁護に87人の証人認める=本人同席も同時に命令=5月3日に初顔合わせか=左翼崩壊の印象進む中で

 パラナ州連邦地裁のセルジオ・モロ判事は17日、ルーラ元大統領に対し、同氏の弁護士が要請した87人の証人喚問を認めると同時に、87人が証言する際はルーラ氏本人も裁判に同席するよう命じた。18日付現地紙が報じている。    現在話題のオデブレヒト社の報奨付供述(デラソン・プレミアーダ)に基づいたラヴァ・ジャットの捜査命令 ...

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ソニーニャがサンパウロ市局長を辞任=遅刻罰金から4カ月足らず

 ジョアン・ドリア・サンパウロ市市長は17日、市の社会援助局局長をつとめていた、元テレビ司会者でもあるソニーニャ・フランシーヌ氏の辞任を発表した。18日付伯字紙が報じている。  ソニーニャ氏は、ドリア市政がはじまってすぐに行った清掃プロジェクト「シダーデ・リンパ」の第1回の清掃の際に遅刻し、その後の局長会議にも遅刻した。ドリア氏 ...

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東西南北

 オデブレヒトのデラソンによる、大物政治家たちがラヴァ・ジャットに関与していたとの報道が続々と流れて世間をにぎわせる中、元下院議長で現在逮捕中のエドゥアルド・クーニャ被告や元財相、官房長官のアントニオ・パロッシ被告もデラソンに応じる構えを見せている。クーニャ氏は既に、「テメル大統領がオデブレヒトとの会合を手配した」などと言う手紙 ...

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《ブラジル》「賢人会議」で重要課題を議論=交通・輸出回廊の整備を優先=経済連携協定締結を目指す

 リオ市で5日、『第7回日伯戦略的経済パートナーシップ賢人会議』が行われた。同会議では日本商工会議所(東京都千代田区)の三村明夫会頭(新日鉄住金(株)相談役名誉会長)やカルロス・マリアーニ・ビテンクール石油化学工業連盟会長が座長を務め、両国の経済界主要人物らが日伯の経済関係強化を目的に最優先課題について議論した。参加者らは都市交 ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(11)=「日本人死ね! 国に帰れ」

 田辺さんが、光日本語教室を始めたきっかけは、パラナやサンパウロから来た若い日系人が、子供に日本語を教えたいと言い出し、「お前は一世だから日本語教えてくれ」と頼んできたことだ。  「ボクは6歳で日本から来て、一生懸命に働いてきた。日本でもブラジルでもまともに学校にいっていない。だから日本語を教えるのはムリだ、と最初は断った。でも ...

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ブラジル力行会の略史=百周年記念誌編纂委員会=〈2〉古賀捷則

   1913年9月6日、島貫兵太夫初代力行会会長は、47歳の若さで病いに倒れ、渡米中であった永田稠氏が遺命により、翌年の1914年に二代会長に就任します。  6年ぶりに帰国した永田会長の前には、大きな難題が横たわっていました。それは大講堂建設による財政破綻と日本力行会の再建です。  「力行会は、単なる社会慈善団体では ...

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