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サンパウロ 関連記事

随所にPB回復の兆し=LJの影響乗り越える?

 ペトロブラス(PB)がラヴァ・ジャット作戦(LJ)による負の遺産を乗り越え始めたと22日付現地メディアや24日付エスタード・デ・サンパウロ紙が報じた。  14年から始まったLJの捜査で世界でも類を見ない大型汚職が摘発され、「ペトロロン」の言葉さえ生まれた石油公社は、信用格付ランキングも大幅に低下。LJによる損失計上後は、石油関 ...

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東西南北

 20日、大サンパウロ市圏グアルーリョス市ピメンタス区の空き家で、20年ほど前から行方不明となっていたアルマンド・ベゼーラ・デ・アンドラーデさん(36)が発見された。アルマンドさんはベッドがあるだけのトイレ付の部屋に閉じ込められており、この家の近所にいるはずの麻薬の運び屋を捕まえるために出向いていた警察官に偶然見つけだされた。こ ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(4)

二人妻  長谷川武は人格者で、後に邦人社会のため献身的に尽くした──と資料類には記されている。  以下、前出AYUMIよるが。──  長谷川がサンタ・オリンピアに居た時、高田はまこという女性がやって来て、一緒に暮らし始めた。彼女は、長谷川がリベイロン・プレットに居た時に知り合ったという。  ところが、長谷川は、実は日本を出る前に ...

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「桜」と「鶴」で新スタート=島津・ド・ブラジル新本社=13日に華々しく開所式

テープカットの様子(左端が的場社長、右から二人目が上田輝久本社社長)

 「島津・ド・ブラジル」(Shimadzu do Brasil、的場俊英社長)が当地の化学機器専門商社SINCの買収に伴う人員増加のため、サンパウロ市バーラ・フンダ区から9月中旬頃に近郊のバルエリ市に本社を移転し、13日午後1時半から新本社の開所式を行った。  開所式は社内講堂で行われ、招待客約110人と社員で満員となった。また ...

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サンパウロ州の暴風雨=サンパウロ市も混乱、死者2人=内陸部でも洪水や倒木発生

21日朝もラッパ区内に残る倒木(Rovena Rosa/Agência Brasil)

 サンパウロ州各地を20日、落雷や降雹も伴う暴風雨が襲い、洪水や倒木、停電が起きた他、サンパウロ市では死者も出たと21日付伯字紙が報じた。  サンパウロ市では同日未明と午後の2度、雨や風が記録された。同市の同日の平均降水量は8・3ミリだが、西部ではブタンタン区の46・8ミリを筆頭に平均24・5ミリの雨が降るなど、西部と北部を中心 ...

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「黙れはもう死んだ」=カルメン最高裁長官が語る

 9月に最高裁長官に就任したカルメン・ルシア長官がサンパウロ市で20日、インターネット・ソーシャルネットワークシステム時代における表現の自由に関する講演を行ったと、20、21日付現地紙・サイトが報じた。  同長官はこの日、さんパウロ市南部ヴィラ・マリアーナにある広告マーケティング専門大学で、全国雑誌編集者協会(Aner)が主催す ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(3)

 マレッタで仲間の4人が去った後、残りの長谷 川武と堀部栄吉は、少し北のカショエイラ川の近くに移動した。そこは地主によると「マレッタの心配はない」ということであった。  しかし二人だけでは、どうにもならない。伝手を頼って、新しい入植者を探した。やがて安元茂吉・青太兄弟、原甚五郎・美作兄弟が入植した。  さらに何人かが続いた。殆ど ...

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サンパウロ国際映画祭がスタート=映画マニア垂涎の作品群を上映

 20日より、サンパウロ市で毎年恒例の「サンパウロ国際映画祭」が開催される。  今年で第40回目を迎え、「モストラ」の名で知られる同映画祭は、1977年に、映画評論家のレオン・カッコフ氏が「ブラジル人に世界の映画のレベルを知って欲しい」との願いではじめたものだ。ヨーロッパ映画やアメリカのインディペンデント系の作品を中心に名作を紹 ...

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東西南北

 19日のエドゥアルド・クーニャ前下院議長の逮捕は大きな話題を呼んだが、世間の注目はクーニャ氏のみならず、彼を連行したある連邦警察官にも注がれていた。長く伸びた前髪を、最近ブラジル人男性のあいだで流行のちょんまげにした、無精ひげで胸板の厚いこの男性は、「二枚目だ」としてたちまちネットで話題となり、すぐに「連警の木こり」もしくは「 ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(2)

 アントニーナに未だ活気があった1907年、―日本人が訪れた。名は内田定槌(さだつち)。  リオ州ペトロポリス駐在の日本公使であった。  ポ語版のパラナ州日系社会史『AYUMI(歩み)』によれば、内田は付近を歩き、湿地帯が多いのを視て「稲作に適した土地だ」と言ったという。  それを聞いて記憶していた少年がいた。名はエイトール・ソ ...

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