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サンパウロ 関連記事

死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(1)

在りし日の知花真勲氏

出発 私のブラジル移住は、沖縄出発の時から平穏ではなかったように思う。 先ず、神戸の移民斡旋所で出国手続きや移住者への講習を受けるために船倉荷物を那覇港に残して私達は、手荷物のみを持ってチチャレンカ号に乗り込み那覇港を出発した。 ところが、出発してから数時間の航行中に暴風に巻き込まれ、奄美大島の名瀬港に寄港を余儀なくされた。神戸 ...

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復員記=サンパウロ 建林成幸

 復員とは、戦争が終わり兵士が故国に引き揚げることをいう。 今年、日本は戦後70年を迎えた。70年も経てば、人はみな高齢に達し、生き残った人は僅かで、戦争を知らない世代の時代となった。 私は大正15年(昭和元年)生まれで、終戦を数え歳20才で、シナ大陸華北青島の海軍航空隊で、航空兵として迎えた。 当時の青島(チンタオ)は、元ドイ ...

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鱈のグラタン (Bacalhau gratinado)

 以前も鱈のコロッケをご紹介させていただきましたが、今回は私が1994年にNHKのお料理番組でご紹介しました鱈のグラタンを再びご紹介します。
 鱈の事をポルトガルではBacalhauと言いますが、語源はラテン語のBaccalaureu からきています。

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エジウソンに詐欺参加疑惑=宝くじの賞金横取り計画で

 2002年の日韓開催サッカーW杯のセレソンの優勝メンバーで、Jリーグの柏レイソルでも活躍したエジウソンが、宝くじ詐欺事件に関与した容疑で取調べを受けている。 10日、連邦警察は、連邦貯蓄銀行(CAIXA)の主催する宝くじで不正があったとし、5人を逮捕、8人の身柄を一時拘束、22人を警察へ強制連行した上、家宅捜査や物件押収など、 ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(34)

 後から知ったそうだが、ブラジルでは、園芸作物に特許権というものはなく、それに代わるものは学会での発表だけであった。 奥山家では、コチア産組の間島正典技師の計らいで、夫人の名で日本でも品種登録をした。すると、やがて農林省から特許料を送金すると連絡してきた。孝太郎氏は断ったが、何度も電話してきて「受取ってくれ」と言う。その度に断り ...

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第44回 日本人が信じられないブラジルの不都合な真実 ④

 ブラジルで仕事をしていると、最初はブラジル人の計画性の無さにイライラしたり、腹を立てたりするが、その裏に潜む真実に気づくとしょうがないと思えるようになってくる。  日本企業も欧米企業もブラジル進出にあたって、当然ながら事業計画やスケジュールを立て、それに準じて進めようとするわけだが、まずはお役所の壁にブチ当り、立ち往生させられ ...

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S&P=ブラジルを突如優良国から外す=16年赤字予算案がダメ押し=急展開に連邦政府は動揺=支出削減はこれで不可避に

バルボーザ企画相が参加した9日の上院での会議風景(Jonas Pereira/Agência Senado)

 国際的な投資信託の権威である米国のスタンダード&プアーズ社(S&P)が9日、ブラジルの格付ランクを突如、「優良債権国」から外す決断を行った。これを受け、国外投資の減少やさらなるドル高が起き、この先の国内総生産(GDP)にも響くことは必至の情勢となった。10日付伯字紙が報じている。 S&Pは9日、ブラジルの投資格付けランクを「投 ...

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「日本の近代史、正しい理解を」=目良氏講演会、明日開催

目良浩一氏。10日サンパウロで撮影

 アメリカで慰安婦撤去運動を行う「歴史の真実を求める世界連合会」代表の目良浩一さん(81)が10日、サンパウロに到着した。12日午後2時から、広島文化センター(Rua Tamandare, 800, Liberdade)で、講演会『日本の近代史を正しく理解しよう~日米開戦の謎を解き明かす~』を行う。 ニッケイ新聞主催、ブラジル日 ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(33)

 上野さんが、地元の文協を案内してくれた。ACEB=バンデイランテス文化スポーツ協会=という名称である。会員は150家族というが、その割には、立派なグランドやプール、各種の建物があった。創立は1949年というから、終戦4年後であり、サンパウロの文協より古い。 当初はバンディランテス・スポーツ協会という名称で、スポーツから始めた。 ...

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ニッケイ俳壇 (855)=富重久子 選

サンパウロ  平間 浩二

夢追ひしなべて移民の花珈琲
【今から百何年前に移民した人々は、戦後移民の我々とはちがって、珈琲栽培と言うしっかりとした目標があって、短期間の移民として来られたと聞いている。
 「なべて移民の」とこの句にあるように、珈琲を植えその実を収穫して売買してという、全ての人の胸に大きな夢があったのである。「花珈琲」という芳しい季語の真に良く坐った巻頭俳句であった】

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