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サンパウロ 関連記事

日本会議=深沢陽氏招き講演会=「世界の中の日本文化」

深沢陽所長

 ブラジル日本会議(徳力啓三会長)は11日午後2時、文協ビル5階・県連講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で国際交流基金サンパウロ日本文化センターの深沢陽所長を招いて講演会を行う。テーマは「世界の中の日本文化」。日本語のみ。入場無料。 案内のため来社した徳力会長は、「世界中で日本文化普及に励まれた深沢所長も、当地の日 ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(19)

しかし、匙を投げる 安瀬は、その頃、自身のカフェザールを四カ所経営していた。樹数は計85万本だったというから、この業界でも大手だったわけだ。そのカフェザールの経営力は世間から高く評価され、ブーグレの再生に関しても期待されていた。 ところが牛窪著によると、この安瀬も霜に破れ去ったという。ブーグレは1959、1963、1967、19 ...

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オーリャ!

 8月に入り、休暇を実家で過ごしていた大学生たちがサンパウロに戻り、オーリャ子の下宿先の県人会館も数週間ぶりに賑やかになった。 マリンガやクリチーバなど、サンパウロ市から遠く離れた故郷で家族とゆっくり過ごしたとか。聞けば休暇では毎回帰省するそうで、顔色を見れば幸せ具合が良く分かる。 オーリャ子の学生生活を思い返すと、実家には4年 ...

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静岡県人会は先駆者に敬意を表さないのか?

中前隆博在サンパウロ総領事、白石一資ノロエステ連合課長、梶原義教西本願寺総長ら錚々たる出席者の中、なぜか平野運平の出身地、静岡県人会の代表だけいない…

 上塚周平は「移民の父」、渡辺トミ・マルガリーダは「コロニアの聖母」と言われるように、平野運平は「祖人」と形容される。その人にしか使われない特別な説明語が着く人物は、移民史上ごく少ない。本当に敬愛される人物にだけ許された特権だ▼「祖人」を辞書で探しても出てこない、コロニア独自の言葉使いだ。「祖」は「開祖・教祖」という言葉に使われ ...

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東西南北

 3日、サンパウロ州南東部アヴァレー市のスーパーマーケット「ピニェイロン」で爆破が起き、8人が負傷する事故が起きた。爆発は同スーパー内のパダリア部分で起こり、その衝撃で、棚や台が崩れ落ち、窓ガラスが散乱した。事故が起こったときはまだ店内に人も多く、5人がガラスなどの飛び散った破片で負傷し、3人が火傷を負った。いずれも救急病院で手 ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(18)

 そのうち、「親戚の安瀬盛次に、店を継がせては……」という声が上がった。 安瀬は以前、数カ月、この店を手伝ったことがあり、債権者の一人が覚えていたのである。「鈍重、牛の如し」と評されたが、鋭い閃きを見せることもあった。真面目で働き者でもあった。推薦者は、そこを見込んだのである。 この店主が夜逃げをしたアルマゼンを継ぐという話、凡 ...

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在聖総領事館=一世紀の節目を盛大に祝う=記念昼食会に360人駆けつけ

乾杯の様子

 「ちょうど100年前に始まった」―在サンパウロ日本国総領事館と関係の深いブラジル日本文化福祉協会やブラジル日本都道府県人会連合会、サンパウロ日伯援護協会などの日系団体や日系議員、日本政府関係団体、諸外国領事館関係者等、約360人が一堂に会し、同総領事館が設立から100年を迎えたことを記念した昼食会が、7月28日正午から同公邸で ...

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移民と共に歩む在聖総領事館=一世紀前の設立経緯追う=初代総領事と平野植民地の絆

1920年6、7月当時の在サンパウロ総領事館の天長節祝賀会の写真。中央の正装姿が公使館の書記官で、日本一の南米通といわれた野田領事。同年9月には藤田敏郎氏が総領事として赴任(『南米日本人写真帳』永田稠、日本力行会、1921年)

 ブラジルの日本国在外公館は、その歴史の最初から移民と共にあった。人文研年表には《1914年8月2日アウグスタ街297番でサンパウロ総領事館が事務を開始する》とあるが、史料を見ると、実はサンパウロにありながら「リオ総領事館」だった。一世紀前の設立経緯、そして最初の邦人自作農集団地の一つ、平野植民地との絆を探ってみた。  ちなみに ...

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次の百年に向かって=在サンパウロ日本国総領事 中前 隆博

中前総領事

 今般、ニッケイ新聞において、在サンパウロ日本国総領事館の開設百周年特集号を出版されるにあたり、心より感謝の意を表します。当館の百年間の歩みは、常に日系社会の皆様とともにありました。 1908年の笠戸丸のサントス港到着から遅れること7年後の1915年(大正4年)7月28日に在「リオデジャネイロ」帝国総領事館が閉鎖され、在「サンパ ...

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勝ち組が殴り込み?!=報道されなかった事件=横井庄一新婚旅行の裏で=元総領事館 広報文化担当 坂尾 英矩

総領事館に勤務していた時代の坂尾さん

 私が在サンパウロ総領事館に勤務した始めは1972年ですから、当時の公館はまだ57年しか経っていなかったのか、と今頃になってしみじみと感じます。百年のうち四分の一世紀を公館に勤めた私は色々な事件に遭遇しましたが、報道されなかった「忘れられない出来事」を書いておきたいと思います。 それは1973年6月のことでした。 終戦後28年経 ...

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