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最終回=100年後に価値が出る=各県人会で取り組みを

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  祖先シンポの中で、ブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長も、当地独自の取り組みを熱く講演した。位牌をどうするかは子孫にとって重要な問題と考え、長男が受け継ぐ伝統が揺らいでいる現実をかんがみ、沖縄文化センターに集めて保存し、共同供養する計画が進められている件を発表した。  「位牌だけでなく、 ...

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第10位=サンパウロ市の日本食店業界に波?=老舗は閉店、新規が続々と

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  日本食店業界が大きく変化?— 老舗でかつては駐在員で沸いた「割烹寿し安パウリスタ」が6月閉店した。市場の変化を実感させる幕引きだったが、リベルダーデに現在、新店舗を開店準備中。  トマス・ゴンザガ街には「雅」から移った料理人による「伴」が開店。「雅」にはホテル・オークラの料理長が現在、 ...

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第2位=高拓生80周年=戦中の迫害を州政府が謝罪

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  ジュート栽培をアマゾンの一大産業に育て上げた日本高等拓殖学校卒業生(高拓生)の入植から80年を迎えた。  第2次大戦中、連邦政府が日本移民の農場や資産を強制接収し、一部の入植者が迫害を受けたことに対し、マナウス市の州議会は10月25日、正式な謝罪を行なった。  生存する高拓生は3人のみ ...

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第3位=日伯経済交流に大きな〃二歩〃=数次商用ビザ、社会保障協定

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  日伯両国間で商用目的の数次入国ビザの発給が正式決定、来年1月1日から運用が開始されることが決まった。両国の年金を合算できる社会保障協定についても、来年3月からの発効が発表された。  長年の両国間のビジネスや人的交流で大きな障壁となっていた2つの問題の改善は、ブラジルへの進出を検討してい ...

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第4位=援協SUS病院の定礎式=ブラジル社会との融合へ

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  免税が許可される公益社会福祉団体としての認可更新が来年に迫っているサンパウロ日伯援護協会(菊地義治会長)は、連邦政府が運営する健康保険制度(統一医療保険システム=SUS)を使った治療が受けられる病院をサンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市に新設することを決定、9月に盛大な定礎式を行なっ ...

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第5位=コロニア御三家の会長選=県連、援協は〃一世還り〃

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  3月に県連、4月には文協、援協の会長選挙があり、援協と県連では二世から一世が会長に返り咲くなど、世代を超えた団体経営の形がコロニアの関心を呼んだ。  文協は評議員の投票による理事会選挙で体制側「統合と進歩」(65票)が小川氏を会長とする「みんなの文協」(40票)引き離し、木多喜八郎会長 ...

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第6位=Gニッケイが終了宣言=12年のデカセギ支援に幕

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  「今まで協力してくれたみなさんに感謝したい」。12年前から帰伯デカセギに職業紹介するボランティア活動を続けてきたグルッポ・ニッケイ(Grupo Nikkei de Promocao Humana)の島袋レダ代表(60、二世)は4月、晴れ晴れとした表情でそう語った。  「開拓生活で大変な ...

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第7位=勝ち負け抗争に関心集中=映画『国賊』『闇の一日』

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  65年前の勝ち負け抗争にスポットライトが当てられた1年だった。ブラジル映画『Coracoes Sujos』(国賊、ヴィセンチ・アモリン監督)が完成し、先行上映会が7月7日晩、パウリニア映画祭の開幕式として行われた。日本からは主演の伊原剛志が来て伯字紙各紙が競って扱うなど、一般公開前にも ...

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第8位=着物代金未納問題に幕=蛯原さん「払い終えました」

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  「8月4日にようやくお金を払い終わりました」。百周年協会で芸能コーディネーターを務めた蛯原忠男さん(62)は9月13日、東洋街の自らの事務所でそう説明して胸をなでおろした。  百周年のサンパウロ市祭典で皇太子殿下の面前で披露された記念曲「海を渡って百周年」の時に踊っていた228人の着物 ...

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第9位=歴史築いた議員が相次ぎ…=上野、田村、安田氏ら

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  日系初の連邦議員、田村幸重氏(96、同)は戦後初の選挙でサンパウロ市議に当選(48年)、サンパウロ州議(50年〜)、54〜69年まで4期にわたり下議。いずれも日系初で、日系人の政界進出の道を開いた。  〃皇室に一番近い日系人〃だった上野アントニオ義雄氏(89、同)は、連邦下議を67年か ...

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