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ルーラ 関連記事

課題のしかかる貧困撲滅=自立しない生活扶助受給者=低賃金の雇用で仕事続かず

ニッケイ新聞 2011年1月18日付け  ジウマ大統領選は選挙公約で貧困撲滅を宣言したが、ルーラ政権から引き継ぐ生活扶助政策「ボウサ・ファミリア」の受給者には仕事を得ても1年以内で辞めてしまう人が多く、経済的な自立を促すにはまだまだ時間がかかりそうだ。今後発表される新たなPAC(経済活性化計画)の詳細など、新政権の対応が注目され ...

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バチスチ問題で報復か=伊下院が軍事協定投票延期

ニッケイ新聞 2011年1月14日付け  イタリア下院の党指導者たちが11日、伯伊両国間で既に署名を交わしていた海軍補強のための軍事協定の投票を延期したと12日付エスタード紙が報じた。  決断は政府与党である自由民主党のフィアマ・ニレンステイン氏の提案を受けたもので、ルーラ前大統領のセザレ・バチスチ容疑者の本国送還拒否に対する報 ...

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東西南北

ニッケイ新聞 2011年1月13日付け  サンパウロ市北部にあるフレゲジア・ド・オー橋で10日、一人の男性がつるはしでコンクリート壁の一部を壊して電線を盗む様子をグローボ局のカメラマンが撮影。歩行者や交通技術公社(CET)の車が近づくとそ知らぬふりをしてごまかしていたが、一仕事終えて立ち上がり、撮影に気づいた男性は、「確かに俺は ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年1月13日付け  先日「日系連邦下議の過去最高は4人、今後6人時代になる可能性がある」との記事を出したが、この場を借りて訂正したい。昔の新聞をひっくり返していたら、90年10月の選挙で日系史上最高の下議7人誕生との記事に出くわした。この大記録こそがコロニア史に輝く金字塔だろう▼ちなみに当選者は後にルーラの ...

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ジウマ大統領=PACの母の面目躍如=今年は60回の竣工式か=大半は前政権の置き土産=新政権下ではどう展開?

ニッケイ新聞 2011年1月11日付け  2007年の経済活性化計画(PAC)導入時に、ルーラ前大統領から〃PACの母〃の名称を受けたジウマ大統領にとり、PAC関連の竣工式が60回見込まれる今年は、面目躍如の年と9日付エスタード紙が報じた。全ての工事が順調に進めば、毎週1回は竣工式という、嬉しい悲鳴を上げる年になりそうだ。  2 ...

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最低賃金550レアルか=購買力平価はラ米でも最悪

ニッケイ新聞 2011年1月11日付け  PMDB(民主運動党)と中央労働組合の圧力により、最低賃金を540レアル以上に上げることを政府側も認めざるを得ない状況となっていると、7日付エスタード紙が報じた。  政府側提唱の最低賃金540レアルは、退任間際のルーラ前大統領が設定したもので、昨年の最賃額510レアルを5・88%調整した ...

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東西南北

ニッケイ新聞 2011年1月11日付け  原因がまだ判明していないが、サンパウロ州海岸部のグアルジャーとプライア・グランデで下痢患者が急増している。09年1月の患者は1774人で1日平均29人だったグアルジャーで1〜5日に公立病院に運ばれた患者は700人、1日に110〜140人という数字は普段の3倍超。私立サント・アマーロ病院で ...

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貧困撲滅に新たなPAC=選挙公約実現への第一歩=対象者の範疇確定これから=扶助受給者に脱出手段も

ニッケイ新聞 2011年1月8日付け  ジウマ大統領が6日、12閣僚と会合を行い、貧困撲滅のための新たなPAC創設についての具体案の作成を命じたと7日付伯字紙が報じた。前政権での経済活性化計画(PAC)発足時、〃PACの母〃の称号を受けた現大統領にとり、PACの改訂新版は、選挙公約実現への第一歩だ。  就任式挨拶でも「食に窮する ...

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家族思い?ルーラ前大統領=子や孫にまで外交パスポート

ニッケイ新聞 2011年1月8日付け  6日付フォーリャ紙によると、ルーラ前大統領の息子、マルコス・クラウジオ・ルーラ・ダ・シウバ氏(39)とルイス・クラウジオ・ルーラ・ダ・シウバ氏(25)が、12月29日に外務省から外交パスポートを付与されていた。  また、7日付同紙は、前大統領の孫(14歳)も同じ日に外交パスポートを付与され ...

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ノロエステ発展の礎石に=五十嵐二郎元会長が死去

ニッケイ新聞 2011年1月8日付け  ノロエステ連合日伯文化協会会長を18年も務めるなど同地コロニアの発展に尽力した五十嵐二郎さんが1日午後6時過ぎ、糖尿病が悪化して心臓に至り同市のサンタカーザ病院でなくなった。享年80。  両親は新潟県出身で、二郎さんは第2アリアンサ生まれ。1956年にアラサツーバに移転し、精米所を長年経営 ...

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