ニッケイ新聞 2014年2月18日 1908年の笠戸丸移民の到着について、コレイオ・パウリスタノ紙6月25日付けの「日本移民はきれいな洋服を着て清潔で規律正しく、汚れ、疲れた様な南欧移民に比べて良い印象を与えた」との記事が、移民史ではよく引用される。その論調は当時、一般的だったのか――。 実は、到着の翌日6月19日付けサントス『 ...
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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (126)=共存共栄精神の源流を辿る=渋沢が思い描く本来の移住
ニッケイ新聞 2014年2月15日 イグアッペ植民地を創立した伯剌西爾拓殖株式会社、その創立委員長を務めた渋沢栄一(青淵、せいえん)の孫敬三が1957年9月4日、忙しい日程を割いて桂植民地を訪れていた。「外務省顧問・大使」という肩書で、2カ月間の南米視察旅行の途中にたち寄った。その案内をしたのが当時郡会議員だった柳沢ジョアキンだ ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (125)=中間層の重責担った親日ブラジル人=地元有力者を育成した海興
ニッケイ新聞 2014年2月14日 レジストロ地方入植百周年式典でもう一人顕彰されたのはジョナス・バンクス・レイテ(1907―1978)で、やはりRBBCの初代幹事長だった。カルヴァーリョ市長時代の市議会議長で、後任市長でもある。3期も務め、今もって市長在任の最長記録保持者だ。 1950年前後は票の多くを日系人が握っていた時代で ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (124)=感動の入植百周年記念式典で=日系人と地元住民の協力の賜
ニッケイ新聞 2014年2月13日 1987年1月、妻松枝がガンで永眠した時、黒瀬泰(とおる)が葬儀の挨拶で「ブラジルに一緒に行けなくてごめんなさい」といったのを、娘の京田三恵(みえ、65)=千葉在住=は印象強く覚えている。そして1カ月後、後を追うように泰も永眠した。 父が母を連れて行けなかったレジストロへ、娘の三恵は足を踏み入 ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (123)=「あの戦争は世界の反対側」=政府は変わるが友達は残る
ニッケイ新聞 2014年2月12日 有名ジャーナリストのルシアノ・マルチンスは、「当時のDOPS責任者は父の友人で、我々家族とつき合いがあった。『母と一緒にその友人をごまかしていた』って父も言っていた。沢山の日本語の書類を検査しながら、母はきわどい内容の文面があると『この部分は意味が分からないわ』と。こうして45年から46年末ま ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (122)=戦中戦後なぜ迫害なかったか?=百周年で明かにされた秘話
ニッケイ新聞 2014年2月11日 なぜリベイラ河沿岸では戦中戦後、日本人迫害が激化しなかったのか――。サントスからは4千人が強制退去させられ、海岸沿いのイグアッペ、レジストロも実際に追い立ての検討がされた。でも、追い出すどころかレジストロを市として独立させた。当時の枢軸国移民排斥の機運からすれば、これは大きな謎だ。それへの一つ ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (121)=工業用ダイヤを日本に密輸=生涯隠してきた〃重い十字架〃
ニッケイ新聞 2014年2月8日 本間剛夫が腹に巻いた〃サラサラと鳴る砂〃は工業用ダイヤだった。日米開戦の直前という瀬戸際に、兵器製造に不可欠なそれを、米軍の目を掻い潜って持ち帰るという命がけの特命だった。普通なら民間人にやらせるような任務ではない。本間にはその覚悟があると誰かが見抜き、抜擢した。 小説の後に本間はあえて説明文を ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (120)=本間〃ある任務〃とは何か=93歳で生涯最大の秘密吐露
ニッケイ新聞 2014年2月7日 〃ある任務〃とは何なのか。日本移民百周年(08年)の前後から興味深い事実が次々に明らかになった。海興のエメボイ農事実習所卒、レジストロで教師をしていた本間剛夫(第74回)は開戦直前に急きょ帰国し、終戦直後に東京で出版された小説『望郷』(1951年、宝文館)の著者略歴に《昭和十六年、ある任務を帯び ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年=◇戦後編◇ (119)=南聖に地歩を築いた日系人=一世紀の重み刻まれた存在感
ニッケイ新聞 2014年2月6日 桂植民地が消えて無くなったように、リベイラ沿岸には泡沫の如く数知れない人材が育って活躍し消えていった。連載では残念ながら、そのごく一部しか扱えなかった。 例えばセッテ・バーラスの平出延平(ひらいで・えんぺい、長野県諏訪郡)なども同地が海興第3植民地として1920年に開設された直後の21年に入植し ...
続きを読む »日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (118)=父が先発隊、子は最終居住者=「桂」日本人植民発祥の地
ニッケイ新聞 2014年2月5日 「ジポヴーラ(現地名)にずっと住んでいたかった」。桂植民地で生まれ育った中村忠雄(85、二世)=レジストロ在住、13年3月12日取材=は残念そうに繰り返した。彼と清美夫人(セッテ・バーラス生まれ、二世)が最後まで住んでいた日系人だった。 07年に治療のためにレジストロへ転居した。忠雄は「妻の病気 ...
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