6月3日(金)
ブラジル二十六州の中でも、ロライマは印象が薄い州といえるだろう。その存在が余りにも大きいアマゾナス州北部に付属するような形で位置し、両翼にはヴェネズエラとガイアナが迫っている。
距離の問題も大きい。サンパウロから、四千キロ近いマナウスから、更に八百キロ。バスで州都ボア・ヴィスタまで十二時間。ロライマへの道のりはブラジルの大きさを体感できる旅でもある。
六一年のタイアーノ移住者たちは、ベレンで乗り換えマナウスへ。更に一カ月、北上してボア・ヴィスタに到着したころは、日本を発ってから、約三カ月が経っていたという。
「辺鄙どころの話じゃない。もう絶対、日本には帰れんと思った」とは、ボア・ヴィスタ市内に住む元タイアーノ移民の老婦人。
ボア・ヴィスタ市内から車を走らせ、約一時間。グラン・サバンナと呼ばれるアフリカのような大草原を眺める。遥かに見えるのは、ガイアナ領の山々だ。
「まあ、こんなところまでよく来てくれました」と温和な表情で出迎えてくれたのは、原泰教さん(77)。人生のほぼ全てを過ごしたパラナからの再移住だ。
高床式の家の一階部分が食堂兼倉庫になっている。あまり見たことのない形式の家屋だが、害獣や酷暑対策を考えたこの地方独特のものだという。草原の凪。ほぼ無音のなか、NHKの日本語が奇異に響く。
「僕らは一九三一年、ロンドリーナに入植した最初の四家族でね。他に早坂さん、アラさん、カザハヤさんっていう家族がいたね」。
一九二九年に一歳半で来伯、同地で小学校二年まで日本語学校に通うも、戦争により閉鎖。
「だから、カフェもぎをずっとやってたね。ブラジルの学校は半年行ったか、どうか」と顔を撫でる。節くれだった手がその歴史を物語る。
三九年にはマリンガの近くのマリアルバに再入植、構成家族だった花子さんと結婚、四七年、マリンガで精米所を営んだ。
「それから、ルワンダっていうところで十七万本のカフェをやったよ、あと牧場もね」。
九人の子供ももうけ、それぞれが独立。そこが終生の住みかと思っていた。
「長女の婿がね、『ロライマは土地が安いらしい』って話を持ってきてね」。家族の運命が変わった。
約一千ヘクタールの土地を分割して子供たちに相続していたが、家族会議の結果、息子たちは、ロライマ移住を決断。
〇二年には三男のジョルジさんが先発として、〇四年には四男のロベルトさんもロライマに居を移した。
子供たちが新天地で頑張ろうというのに、自分たちがパラナにいては、心配をかけてしまう―。
そう思った原さん夫婦も移住を決意、〇五年一月に引っ越した。
「まあ、遠く離れて息子らに心配させるくらいなら、一緒にいたほうがいいかな、と思ってね」。原さんは今年、喜寿を迎えた。
「あまり悩まなかった」という花子さんは現在、七十五歳だが、「楽しみにして来たよね。お盆に一度(パラナへ)帰ろうと思ってるけど、今のところ、ここが気にいってる」と何の屈託もない。
「何せ、暑いのがいい」と頷き、スイカに手を伸ばす原さん。
現在、パラナに住む長男パウロさん、次男ジョゼーさんも子供を含めたそれぞれの家族を連れて、今年中に移住を予定しているという。
大豆栽培を手掛ける五男ロベルトさんは「昨年、二百ヘクタールくらい収穫できたけど、今年は千くらいできたら。玉ねぎもやろうと思ってる」と夢を膨らませる。
家族三世代での挑戦はこれから始まる。(つづく)
(堀江剛史記者)