2005年8月11日(木)
♪テン・ローパ・パ・ラバ?――。「あの頃、洗濯屋の歌まであったんですよ」。古参の伊藤春野は懐かしそうに歌ってみせる。
調べてみると「Xotis do Tintureiro」(作曲Osmir/ Odair Perdigao)で一九五八年に録音された。歌ったのはDupla Ouro e Prataという二人組で、約三分間のゆったりしたノルデステのフォホー調の曲だ。
奇しくも、移民五十年祭の年であり、コロニア実態調査のために、サンパウロ市のあらゆるルアを日本人洗濯屋が闊歩していた時代だった。
♪ Segunda-feira
Logo de manha cedinho,
Vai la em casa um
baixinho,
E eu corro pra atender.
Eu abro a porta,
E ele todo prazenteiro,
(*garantido no)
*Tintirero.
*Tem roupa, pa rava?
Nao, nao sinhor,
*Tem carca, pa paca?
Nao, nao sinhor,
*Camisa pa engoma?
Nao, nao sinhor,
*Tem mancha, pa tira?
Nao, nao sihor.
♪(意訳)月曜、朝早く
家に小さいのが来る
私は急いで相手をする
扉を開ける
彼は愛想笑いを浮かべ言う
(ガランチード、ノ)
チンチレーロです
洗い物ありますか?
いや、ないよ
アイロンかけるズボンは?
いや、ないよ
糊付けするシャツは?
いや、ないよ
落とすシミは?
いや、ないよ
当時、洗濯屋をする「バイシーニョ」で、「ガランチード・ノ」とたどたどしいポ語をしゃべるのは日本移民だった。現在は日本人のしゃべり方を模倣する時に語尾にやたらと「ネ」をつけて強調するが、当時は「ノ」だった。
それ以外に*部分は、発音の悪さを意図的に再現しており、月曜早朝のやりとりをユーモラスに描写している。
曲の出だしからして中国風のメロディーで始まり、要所要所で「チンツレイロ、ガランチード・ノ!」と合いの手が入り、最後は「ドモ、アリガトゴザイマシタ。キャハッハッハッハ(日本人を模した高笑い)」と締める。
その曲を聞いて、一世なら頭を掻きながら「まあ、しょうがない」と苦笑しても、当時育ちつつあった誇り高い二世の気に触っても何ら不思議はない。
かなりの有名バンドであり、全盛期のラジオで繰り返し放送されたので広く一般に知れわたった。五十代後半以降の二世十人ほどに尋ねたが、見事に全員が聞いたことがあると答え、大半があまり良い印象を持ってなかった。
伊藤は「あの歌を聞いて二世連中は怒ってね。日本領事館に怒鳴り込んだ奴までいたね。あんなこと言わせておいていいのか、日本人の面汚しだってね。若いからしょうがない」とむしろ面白がった。
一方、山本栄一などは「僕はあんまり良い気持ちせんかったです。なんか日本人のマネしてるんですよ」との複雑な感想をもらした。
逆に同年代の非日系人にも聞いてみたが、おしなべて好評だった。とても懐かしそうに歌いだすものまでいた。けっして悪い印象や皮肉を込めていたのではないようだ。
勝ち負けテロの余韻が残る時代であり、日本人は何かと目立った。ブラジル人側からすれば、エキゾチックで不可思議な存在を、身近で愛すべきものに変える働きも、その歌にはあったかもしれない。その意味で、全盛期の日本人洗濯屋に対する、ブラジル社会からのオメナージェンとも言えそうだ。
(敬称略、深沢正雪記者)
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