2005年8月18日(木)
六日午後、コチア青年親善交流団一行は、サンパウロ州との境に位置しているパラナ州カルロポリスの入口で、コチア青年カ地区代表の中林良(島根県)、筒井政廣(高知県)、佐藤清太(福島県)らの出迎えを受けた。
いよいよ、北パラナ地区における親善交流の始まりだ。まず案内されたのはFazzenda Teolandia、すなわち、伊藤直(いとうすなお)農場だ。サントス港に着いた直後のコチア青年三十余名が指導を受けた恩人だ。
伊藤直は、北海道湧別町生まれで、今年九十二歳。同町生まれの妻・茂子を伴い、一九三七年にブラジルに移住してきた。南米銀行勤務やパウリスタ新聞の発行に関わった経歴を持つ。四二年頃にコチア産業組合の下元健吉らに共鳴して、農業への道を進むようになったという。
安住の地を求めて各地を歩き廻る中で、ある山頂から見下ろした場所に心をひかれ、ここだ!と決めたのがカルロポリスだった。四八年のことだ。「ここは海抜五百五十メートル、表土が一メートルから三メートルもあり、世界的にも希な肥沃な耕地に恵まれている豊かな地域だ」と伊藤は誇る。赤土(テーラ・ロッシャ)と粘質土(テーラ・マサペ)が七:三の比率で混ざりあった土壌だ。厚い層の肥沃土に恵まれて、世界屈指の農業地帯と称されているコロンビアのカウカ平野を彷彿させるような一帯だ。
カウカ平野では、日系移住者が砂糖キビを栽培して製品を米国民に供給している。Fazzenda Teolandiaでは、半世紀以上もコーヒー栽培や養豚が続けられている。七〇年代に人造湖が作られて、伊藤所有地の一部も埋没した。湖名のシャバンテスはインデオの種族名らしい。
サンパウロ・パラナ両州にまたがって広がっているこの巨大人造湖の面積は、日本の琵琶湖(面積六百七十二平方キロ)より大きいようだ。この湖は地域の気温安定化にも貢献している。
環境保護の重要性に鑑み、伊藤直は農場の内外だけでなく、カルロポリス界隈の道路両側に十一キロにわたって木を植えてきた。大きく育った木々が季節折々に咲かせる花が、住民の目を楽しませている。「植林を始めた当初は、住民の理解が得られず苦労した」ようだ。この経験から、『コチア青年の森』構想を高く評価している。
コチア青年では、サンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市イタペチ地区で花の森自然公園を作るため黙々と植林を続けている芳賀七郎(宮城県、本紙・〇三年六月二十一日報道))やミナス・ジェライス州ベッチンで大規模な育苗場を営んでいる土谷密夫(長崎県、本紙・七月十三日報道))らと共通点が伺える。
ブラジル全土を見渡せば、植林や環境保護に取り組んでいるコチア青年はもっといるに違いない。一九六〇年前後のパラナ州は、奥地(と見なされ)で、コチア青年を受け入れようとするパトロンが殆どいなかったようだ。そのような中で、伊藤直は累計三十名も受け入れて自立を支援した。
農拓協や国際農友会の移住者(家族移民も含めて)も受け入れて支援している。ブラジル生活六十余年の経験から、親善交流団一行に対して「〃ブラジル式安全〃に留意すべし」と助言を行った。曰く「労働者であるブラジル人家族を大切に扱うこと、二~三家族でも良い。それが周囲を守り、自分自身を守る道だ。カトリックは包容力があることも忘れてはいけない」と。
永年の功労が認められて、日本政府の勲五等瑞宝章、カルロポリス名誉市民章、パラナ州名誉州民章などを受けている。多彩な社会貢献で高い評価と尊敬を得ている人物だ。伊藤農場を辞去した一行は「コチア青年の村」に向かった。この村も伊藤の尽力で建設されたのだ。つづく(文中敬称略)