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本紙記者がのぞいたパラグアイ日系社会=連載(終)=記念誌の編纂着々と=皇室関係者招いて式典を

2005年8月20日(土)

 一九三六年のラ・コルメナ入植に始まったパラグアイ日本人移住の歴史。来年九月に行われる七十周年記念事業に向け、祭典委員会などの組織が今年七月組織された。皇族を招いての記念式典や記念誌編纂などに取り組む関係者に話を聞いた。
 一九八五年に行われた実態調査でのパラグアイにおける日系人口は七千二百人。〇一年には五千二百人に減少している。連合会に加盟する九移住地と二世を中心にした団体「セントロ日系」の総家族数は現在約千二百だという。
 合田義雄連合会事務局長は、デカセギによる日系社会の体力低下を挙げながらも「日本にいるデカセギと日系社会の繋がりに期待したい」。もちろん、七十周年には日本側にも多くの訪問を呼びかけたい考えだ。
 「皇族の招待もほぼ決まっている」と話すのは、祭典委員会の堀川満事務局長。名誉祭典総裁にはニカノル大統領を予定、田岡功在日本パラグアイ大使を始めとする内外の来賓を招待する。
 「入植祭とは違い、対外的な意味合いもある。アトアトラクションも充実させ、『参加してよかった』と思えるような七十年事業にしたい」と意気込む。
 各小委員会もすでに決まっており、結団式を今年九月に予定するなど着々と準備は進んでいるようだ。
 六十年祭は式典、農業物産展、アトラクションなどを中心としたもので、参加者は約千人と小規模なものだった。 
 「華やかだった五十周年式典を手本にしたいが、時代も変わり、日系社会も二世への移行期にある」と説明する堀川事務局長。
 「一世中心だった組織の形を変える必要性」も今回重要視する。
 七十周年事業の目玉の一つとして行われているのは、記念誌の編纂だ。昨年五月に編纂委員会を立ち上げた。各移住地代表者が随時アスンシオンに集まり、会合を開く。
 「記念誌は日系社会が生み出し、魂を入れるのは地元社会。それを次世代に託せれば」と現在、コーディネーター役として活動するのは、JICA日系社会シニアボランティアの広内俊夫さん。
 市内にあるJICAのOB会や大学関係者と腹案を練り、歴史資料を整理してサンプルを作成する作業が続く。
 記憶に残る出来事などを各移住地に挙げてもらったうえで、年史を作るなど地元意識に即した記念誌作りを心がけ、意見を聞くために自ら地方に赴くこともある。
 「見て楽しめる、読んで分かるのがキャッチコピー」と広内さん。日本語が苦手な二、三世でも手に取れるように写真もふんだんに取り入れる。約五百ページ。刊行予定は〇七年二月と広内さんの任期終了後となるが「残りの時間に全力を尽くしたい」と表情を引き締めた。
 連合会の小田俊春会長はいう。
「今回が一世最後のイベントだと思う。二世と力を合わせて成功させたい」。エンカルナシオン在住だが、月に数度はアスンシオンに。フットワークは軽く、思いは熱い。
 ブラジル日本移民七十周年は、コロニア史上最も華麗な祭典と呼ばれた。規模やその歴史的背景は違うものの、パラグアイ日系社会も今、その時期にある。
 百周年は三年後――。コロニアが結束していたあの時代を振り返るためにも、今のパラグアイ日系社会から学ぶものがあるのではなかろうか。
 おわり(堀江剛史記者)

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