2005年10月1日(土)
「日本を離れて初めて日本文化を大切にしたいと思った」。大原ジニス葉子さん(29)は、サンタカタリーナ州都フロリアノポリス市にあるニッポカタリネンセ協会で日本語教師として活躍している。「日系社会と直接関わりはないけど、伝統的な日本文化を子どもたちに伝えていこうと力を入れている方々を素晴らしいと思う」と話す。
以前、パラー州ベレンでも日本語教師として一年二ヵ月働いていた。ベレンに住んでいた友達が日本語教師を探しており、声をかけられたことがきっかけ。大学卒業と同時に渡伯した。「日本語教師の知識もないし、言葉もわからなかったから自分なりに一生懸命やった」と振り返る。
「父も母も祖父母も教師」。まさに教師の家系で育った大原さんも教員免許を持つ。「小学校の時、先生の子どもとして見られるのが嫌だったから教師にはなりたくなかった」と言うが「気がつけば教師をしていた。でも今では一番よかったと思う」と話す。「人は毎日同じ反応じゃない。人との付き合いが楽しい。特に子どもは変化がわかりやすい」。
帰国後は、幼稚園の教師として働いた。また、「せっかく覚えたポルトガル語を忘れたくない。ベレンの人たちの優しさが形になったものが言葉だと思ったから」と、日本でブラジル人を探しては友達になったそう。
その中で出会ったのが夫のペリクレス・ジニスさん(32)。鹿児島大学で留学生として約四年間、歯科矯正を学んでいた。ブラジルで歯科大学を卒業し、個人でクリニックを開業したがうまくいかず訪日した。
現在はフロリアノポリスで歯科医師として働いている。「夫は大の日本びいき」と言うが、初めは日本人の考え方や習慣に慣れるまで息苦しかったという。今ではむしろ、その秩序正しさや礼儀などが好きになったそう。
ブラジルに来て、見えてきたことが多々あるという大原さん。「日本のスーパーで夫は野菜を本当に慎重に見ていて、どれも同じなのにと思ってた。けど、ブラジルのスーパーは野菜が山積み。この中からいいのを選ばないといけない」。
また、「旅館に行ったとき、日本食が食べられないのに夫はついて来る。洋食もあるのに日本食を頼んで、あまり食べないのには頭にきた。でもブラジルでは、必ずしも全部食べなくてもいいことを知った」と話し、「ブラジルに来て初めて彼の行動にある裏側の意図がわかった」と笑う。
「ベレンにいた時、日本のことを聞かれても全然知らないことに気づいた。それがきっかけで日本文化を知りたいと強く思うようになった」。結婚して、二度目の渡伯までの期間に、お茶や着付けなども習った。
また、同地にはブラジル人と結婚した日本人女性が十人ほど住んでいて「日本人妻の会を開いたこともある」と笑う。「こっちで皆に日本文化について聞かれ、調べるうちに日本にいたら気づかなかった秩序正しさがあるその文化の良さがわかってきた。日本語教師としてこれを伝えていきたい」と抱負を語った。
つづく (南部サヤカ記者)
■「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〝日本人〟を意識=連載(6)=仕事が楽しいから居る=幸子さん「ブラジル、どちらかというと嫌い」
■「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〝日本人〟を意識=連載(5)=夫婦で日本文化伝承活動=藍さん=教えたい「日本にもうサムライいない」
■「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〝日本人〟を意識=連載(4)=心開いて話し合える国=えり子さん=大好きな大らかさ
■「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〝日本人〟を意識=連載(3)=移民の歌う『君が代』に〃じーん〃と=さおりさん=今、現地日会の会員
■「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〝日本人〟を意識=連載(2)=生きることの困難と楽しさ=亜希子さん、初めて知った
■「マリード夫は非日系ブラジル人」=移住して改めて〃日本人〃を意識=連載(1)=サンバに魅せられて=ゆかさん=欲しいものは必ずわが手